昔、夏に食べたトマトは 読解検定長文 中1 冬 1番
昔、夏に食べたトマトはおいしかった。一山二十円で八つくらいあり、 お菓子類より安かったのでおやつによく食べたものだった。今のように、全身見事にまっかっかのトマトではない。ヘタの周囲などはうす青いのである。いかにも野菜であるという、 庶民的ムードを持っていた。それに塩をふるだけで、切ったりせずにかぶりつくのである。
あのころのトマトは 臭かった。だから厳密にいうと、今のトマトと昔のトマトのどっちがおいしいかという話に簡単に答えは出せない。
昔のトマトは 青臭く、特に種のところのゲル状地帯は 臭みが強かった。そしてヘタのほうへ行くと青くてガジガジで、もう食べられない。それに比べれば今のトマトは美しく赤く、 臭みはほとんどなく、肥料に砂糖をやっているんじゃないかと思うほどあまい。両方をもし並べることができたら、今の子どもはいまのトマトの方がおいしいというかも知れない。
だが、昔のトマトの味の中には、夏があった。あの 臭みは、夏の 臭みだったのだ。そしてあのトマトは、生命感を宿していた。
それはしかし、好みの問題かもしれない。
だが、好みの問題ではなくて、はっきりと、昔の野菜にはあって、今の野菜にないものがある。それは、 旬、という 概念である。
野菜や魚などの、最もおいしい時期という意味の、 旬。
今、トマトはスーパーへ行けば一年中ある。だから、トマトに 旬はなくなったのである。年中いつ食べても同じ味がある。
キュウリやナスや大根にも、季節感がなくなった。白菜だって、夏場に手に入る。ねぎは本来どの季節の野菜かというクイズをやって、若い女性が春、なんて答えているありさまである。
ハウス 栽培によって野菜は季節から 離脱した。それはある意味では、進歩というものである。
しかし、便利を手にいれたとき、我々は季節感を失い、 旬のもののおいしさをうばわれたのである。せみ取りに行って、麦わらぼうをかぶって、 渓流に落ちてひざから血が出て、でもカブト虫をつかまえたんだから大満足、という夏と、昔のトマトはぴったり∵結びついていた。夏の午後の耳せんをされたようなけだるい静かさと、トマトは切りはなせないものだったのである。
今でも、たけのことか、そらまめとか、ハウス 栽培をあまりしないものには一応の 旬がある。だがこれも、輸入物が混じってきたりして、本当の意味の 旬とはちがうものになりつつある。
魚介では、かつおとかさんまとか、一応季節と結びついているのだが、 養殖のできるものは、一年中はまぐりがあるように、 旬を失いつつある。
そのものがとれる本来の季節に食べた 旬のもののおいしさは、どんな品種改良したものよりも上だった、と思うのは私が年をとってノスタルジックになっているせいであろうか。
(清水 義範の文章より)
あなたはいい加減な人間だ 読解検定長文 中1 冬 2番
あなたはいい加減な人間だ――そういわれたなら日本人のだれもが不快、どころか、腹を立てることだろう。わたしのどこがいい加減なんですか、と、ムキになって反論する人も多いにちがいない。ということは、「いい加減」という言葉がけっして好ましいことではないことを語っている。しかし、考えてみると、これはまことに 奇妙なことではあるまいか。「いい加減」というのは字義どおりに解すれば、よい加減という意味であり、つまり、適切な、ということだからである。したがって、いい加減な人というのは、ものごとに対してきわめて適切な処置のとれる人、感情の 起伏が激しくなく、いつも平静を保っていることのできる人、過激な行動に走ることなく、つねに節度をわきまえている人、ということになる。にもかかわらず、いい加減な人間といわれると、十人のうち十人までが 憤るというのは、この言葉がけっしてそうした字義どおりの意味で使われていないことを証明している。そこで私はあらためて辞書(『 広辞苑=第二版』)を引いてみる。すると、「好い加減」の 項にはつぎの三つの意味が記されている。
(一)よい程あい。適当。
(二)条理(すじみち)をつくさないこと。 徹底しないこと。でたらめ。いいくらい。
(三)(副詞的に用いて)相当。だいぶ。かなり。
そして、(三)の用例として「いい加減待たされた」という用法があげられている。だが、どう考えてみても、この三つの意味のあいだには関連が見いだせそうにない。「適当」と「でたらめ」と「かなり」に、どんな共通 項があるのだろう。まったくニュアンスを異にする意味を三つもふくんでいるとすれば、「いい加減」という言葉は文脈で判断するほかない。おそらく、日本語のなかで外国人に最も理解しがたいのは、こうした言葉であろう。時と場合によって、その意味が異なるどころか、正反対の意味にさえなってしまうのであるから。
たとえば、子供のいたずらが過ぎると、母親はきまって「いい加減にしなさい!」といって 叱る。ところが、そういわれて子供が「いい加減」なことをしたとすると、これまた 叱られることになる。「いい加減にしなさい!」といって子供を 叱った母親は、そういいながら子供が「いい加減な人間」になることを、けっして望んではいないのである。∵
ではなぜ、「いい加減」が好ましくない意味を持つようになったのであろうか。それはおそらく、「よい加減」ということを日本人がいいことと思わなかったからにちがいない。どうしていいことと思わなかったのか。その心の底には、日本人独特の自然についての考え方があるように私は思う。
日本の国土は、世界でもまれな温和な気象と美しい自然にめぐまれている。むろん、 狭い島国であっても、北と南とでは気候は異なり、生活の条件もかなりちがう。けれども 概していうなら、これほど優しい山河に取り巻かれた風土は地球上で例外といってもよい。このようなおだやかな自然のなかで暮らしつづけてきた日本人は、とうぜん自然に親しみ、自然に 甘えてきた。日本人は自然に敵対したり、自然を 克服しようなどとは、まったく考えもしなかった。
たしかに自然は災害ももたらした。台風、 地震、 洪水、 旱魃、 豪雪、火山の 噴火……こうした天災で人びとは苦しんできた。しかし、それにしても、この国では自然が 徹底的に人間を痛めつけることはしなかった。一時的に災害をもたらしても、自然はすぐに優しく人間をいたわり、その 打撃から立ち直らせてくれるのである。だから日本人は自然を愛したというより、自然を信じてきたというべきだろう。
とはいえ、日本人も、ただ自然に 随順すればそれでよいと考えたわけではない。人間は自然そのものとはちがう。人は死ねば土に 還るには 相違ないが、少なくとも人間は生きているかぎりは人間であり、人間である以上、人間的な努力をしなければならない。その努力の果てに自然がこころよく待ち受けていてくれるのである。つまり、自然に帰ることはあくまで最終的な解決なのであって、最初から自然に従えばいいということではない。
「いい加減」の状態とは、すなわち自然の状態ということになる。したがって、「いい加減な人間」とは、自然のままになっている人間、言いかえれば、なすべきことをやめた人間ということになる。なすべきことをなさず、自然のままに任せておくということは、いくら自然に 甘え、自然を信じている日本人にとっても、けっして好ましいことではない。「人事ヲ 尽クシテ天命ヲ待ツ」とは中国の名言だが、自然を 信仰する日本人もそう思っているのだ。そこ∵で、日本人は人事を 尽くさないで自然に任せてしまう安易な人間を「いい加減なヤツ」として非難するのである。
私は『 広辞苑』にあげられている「いい加減」の三つの意味のあいだに何の関連も見いだせそうにないといった。だが、以上のように考えてくると、この三つの意味はやはり見えない糸で結ばれていることに気づく。それはともに日本人の自然観の正直な告白なのである。つまり、「いい加減」という言葉の意味はすべてその根を「自然」に持っているのである。
だとすれば、この言葉こそ、世界で例外といえるほど優しい山河、おだやかな自然にめぐまれた島国に暮らす日本人独特の表現であり、日本人の 心性をこの上なく 雄弁に語っている興味深い日常語――といえるのではなかろうか。
(森本 哲郎「日本語 表と裏」)
ドイツにエーレンベルグという 読解検定長文 中1 冬 3番
ドイツにエーレンベルグという有名な生態学者がいる。 彼はあるとき、ふしぎな体験をした。第二次大戦が終わってポーランドに旅行したときのことだ。ふしぎな体験の主役は、コメススキというイネ科の植物である。
コメススキは、日本でも浅間山などに生育している、ごくふつうの植物だ。その植物を指さして、ポーランドの植物学者たちが言った。
「エーレンベルグさん、これはもっとも 湿っている場所にはえる植物なんですよ」
これを聞いたエーレンベルグは、びっくりしてしまった。なぜなら、コメススキはドイツでは砂地だとか岩場などのように 乾いた場所にはえる代表的な植物といわれていたからだ。ところが同じコメススキをポーランドで見てみると、じっさいに 湿原やその他の 湿った場所にはえているではないか。
エーレンベルグは 考え込んでしまった。「自分がいままで勉強してきた植物学の知識は正しいものだったのだろうか」
好 湿性植物、好 乾性植物などという言葉があるくらい、 湿った場所が好きな植物は 湿ったところにはえているし、 乾いた場所が好きな植物は 乾いた場所にはえている。すくなくともそれまでは、そう考えられていた。では、このコメススキは、いったいどちらなのだ。 湿ったところが好きなのか、 乾いたところが好きなのか。…… 彼は迷ってしまった。
ポーランドの旅行から帰ったエーレンベルグは、さっそく一つの実験をはじめた。
彼らは実験農場の一部に、五×十メートルの実験 圃場をつくった。まず、水を張って、水面から上のほうへ土を積んで 傾斜地をつくった。水にもっとも近いところは 湿地の、水からもっともはなれたところは 乾燥地の条件を人工的につくり出したわけである。そして、この 傾斜地の上にヨーロッパの牧草としてひろく大陸各地に生育している五種類の牧草の種をまいてみた。
最初は、五種類の牧草をそれぞれ一種類ずつ単植 栽培してみた。∵すると五種類が五種類とも、 乾きすぎず、 湿りすぎない 斜面の中央部で最大の生長量を示した。競争相手のない単植 栽培では、どの植物もめぐまれた立地でもっとも生長する。つぎに、その五種類の植物が野外の牧野で自然に生育している状態と同じように、種類をまぜて混植 栽培をおこなった。するとどうだろう。単植 栽培の時とだいたいおなじ生長量を示したのは、カモガヤとオオカニツリの二種類だけだった。スズメノチャヒキという草は、いちばん水から 離れたところで最大の生長量を示し、反対に水に近いところではまったく生育しなかった。逆にオオスズメノテッポウは、水に近いところで最大の生長量を示した。
スズメノチャヒキは現実に、 乾燥した土地に生育しているものだし、オオスズメノテッポウは、 湿った土地にひろく見られる植物だ。混植 栽培実験の結果は、ほぼ自然の生育地域と 一致している。
実験の結果、エーレンベルグはひとつの貴重な真実を教えられた。
「いままで、単植 栽培実験の結果がそのまま自然にも通用すると考えてきた植物学の通則は、かならずしも正しくないのだ」と。
ポーランド旅行以来の疑問が、こんどの混植 栽培実験ではっきりした。
自然の山野には数多くの競争相手がいる。自分より強い相手がもっとも住みよいところにいる場合は、心ならずも強敵のいないきびしい条件の土地で生きてゆかなければならないのだ。ひどい時には、コメススキのように、 多湿、 乾燥とまったく正反対の 環境で生育させられる場合もある。
( 宮脇昭「人類最後の日」)
エーレンベルグは、 読解検定長文 中1 冬 4番
エーレンベルグは、植物が生育するためにもっとも適した 環境には二つの場合があるのではないか、と考えた。
その一つは、単植 栽培の実験で最大の生長量を示す場所で、もし競争相手がいなければ、適度の水分と養分を自由にとり入れて、のびのびと生育できる地域だ。 彼はこのような地域を生理的最適域と名づけた。
もう一つは、混植 栽培の実験で最大の生長量を示したような場所だ。つまり自然に近い状態で、ある植物が自分よりも競争力の強い植物によって生理的に最適の場所をうばわれているため、心ならずもその場所から 押し出され、もっと悪い条件のもとで生育しているような地域である。そんな地域を、 彼は生態的最適域と名づけた。
私は感心したが、ぜんぜん疑問がなかったわけではない。
生理的最適域という言葉は全面的に納得できる。だが生態的最適域のほうはどうだろう? 自分にとってもっともよい 環境条件からややはずれて、 湿った場所や 乾いた場所に追いやられることが最適域という言葉で言いあらわされてよいのだろうか?
だが、いまになって考えれば、エーレンベルグの言った最適域という意味の深さが、私にもわかるような気がする。ある生物社会が健全で長いあいだ 繁栄してゆくためには、すべての欲望がほんの短時日のあいだ満足できる本来の最適生育域から多少ずれていて、なんでも思いどおりになるとは限らない 環境のほうが、よいかもしれないからだ。そのほうが、かえってバランスのとれた社会を保ってゆくのにはよい状態だろう。もし、あまり強くなりすぎ、すべての競争相手にうちかってあらゆる欲望がかなえられたなら、その個体も種族も社会も 滅亡してゆくのが生物界の鉄則なのだから。生態的最適域とは、生物社会の本来の意味から言って、まさに長つづきのする最適の地域だったのだ。
すべての生物には、生理的最適域と生態的最適域とがある。それを人間の社会にあてはめてみるとき、私にはちかごろの人間の生き方に、ある種の 恐ろしさを感じないわけにはいかない。
私たちの日常生活は、いろいろな欲望を満足させる方向に進んでいる。熱いときは、 冷房、寒いときには 暖房。衣料、食物、自動車など、人間の欲望を満たすために、工場はあたらしい製品をこれでもか、これでもかと生産して提供する。∵
人間のかずかずのせつな的欲望がすべて満足させられるような社会が生まれようとしている半面、人間生命の持続的な存続がおびやかされるような画一的な社会化、文明化も進んでいる。 矛盾した世の中だと、君たちは考えるだろう。だが、この現象はかならずしも 矛盾ではない。
自然の山野に生きるもの言わぬ植物たちは、きわめてきびしい条件のところで、生理的に最適とはいえない場所でがまんをかさねながらも、力強く生きているではないか。そして何代たっても、そこから 消滅しいないで生きている。この姿に、私たち人間が学ぶところはないだろうか?
ことわっておきたいことがある。私はなにも人間の文明が進歩することに反対しているわけではない。便利なことは、不便なことよりもよいにきまっている。ただ、目先の欲望をすこしでも早く満足させるために、現在のように遠い将来までを見ようとしないで 環境をこわしつづけてゆく。すると、これが人間にとって最高の 環境だと胸を張ったときに、そこがじつは人間にとって最適地でもなんでもなく、人類の墓場だったということがあると言いたいのだ。
目的を達するためには多少の 犠牲もしかたない、というような考えをすてて、まわり道でも時間をかけて目的に進むのだ。そのために 環境をみずから 破壊するような 愚かなことは 避けようではないか。まわり道をするのもまた、がまんの一つだ。そして、ある程度がまんのあるような状態こそ、生物社会にとってもっとも健全で、長つづきする状態なのだ。
( 宮脇昭「人類最後の日」)
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