トロンボーンのアズモが 読解検定長文 中1 冬 1番
トロンボーンのアズモが親指をたてて「いけるね」と合図してきた。アズモに答えたとたんに、会場が見えた。観客の一人、一人の顔が見分けられる。
お母さんは正面の二階席最前列にいた。「あそこにいたか」と 克久がちらりと視線をやった。 隣りは今朝まだ名古屋から 戻っていなかったお父さんだ。久夫と百合子が並んでいるのは意外だった。それから、 克久は何かを「あれ」と感じた。そのあれが何なのかは解らないが、二人が初めて並んで座っているのを見たような気がしたのだ。例えて言えば同級生が花の木公園でデートをしているのを 目撃したような感じだった。両親はいつもより若々しかった。
それは 一瞬の 閃光だった。
曲名と学校名を 紹介するアナウンスが会場に入った。指揮台わきに 滑り込むようにたどりついた森勉が、実に素早く息を整えた。アナウンスが終わると同時に、ベンちゃんの息をきらしていた 肩は、静かになった。指揮台に上がった時には、数秒前まですばしっこく走り回っていたのがうそのようだ。有木と目が合う。指揮棒が 振り上げられた。高く 澄んだクラリネットの音が観客をしっかりつかまえた。ティンパニが 鳴り響く。
「 交響曲譚詩」は無難にこなした。 祥子がマリンバの位置に移動するほんの数秒のことだ。会場は水を打ったようだ。再び指揮棒が 振り上げられた。
ティンパニが静かに打ち鳴らされ、チューバなどの低音グループが最初の主題を奏で始めた。 克久は真っ直ぐに立っている。立っているけれども、 既に身体は音楽の中に吸い取られていた。何か、大きなものに包まれる感覚だった。
そこにあるものは、目に見えるものではなかった。が、 克久は全身で、そこに確かにある 偉大なものに 参与していた。入るとか加わるとか、そういう平たい言葉では言い表せない 敬虔なものであった。感情というようなちっぽけなものではなくて、人間の 知恵そのものの中に、自分が存在させられていた。それが 参与ということだ。∵
低音グループが奏でた主題に木管が加わり、音の厚みが増す。やがてティンパニがクレシェンドで 響いた。それを木管楽器たちが優しく清らかな歌で 迎えた時には、 克久の胸の中にあの大きな夕陽があかあかと燃えた。いつも、そこで大きな夕陽が現れる。もちろん、 克久はただ音楽に 酔っていたわけではない。指揮棒はたえず、音が加わるべき位置の指示を出していたし、 拍は正確に数えられていた。部員だけに解る伝令が走り回っていた。それでも、あかあかとした夕陽は決して 克久の目の中から消えなかった。夕陽の周囲に見慣れた団地の 眺めがあり、それが 斜めに射す陽の光を受けて、尊いものとして 輝きを帯びた。 克久は音の中にそういうものを見ていた。
曲は長い 尾を引いた 孔雀の優美な歩みや、青く光る首の動きを表しながら進んでいく。 克久はホルンがタタタッタン、タタタッタンと、草原に 吹く風の音を奏でる間に、トライアングルをかまえた。ベンちゃんの 眉毛が今だと告げる。 克久が打ち鳴らすトライアングルの 涼やかな音を聞き 逃してしまう観客もいることだろう。しかし、それは決して欠くことができない重要なディテールだ。
一つの重要な仕事を終えた 彼は、おごそかな足取りで大 太鼓の前に進んで行く。まったく 彼の足取りはおごそかとしか言いようのないものだ。たとえ、その足が三カ月以上一度も洗ったことのない 上履きをはいていたとしても、重要な 儀礼に 参与する司祭のおごそかさを 邪魔するものではなかった。
曲はクライマックスをめざし、正確に進行していた。少しも 間違いがないとは言えない。小さなミスは、それぞれにすり傷、切り傷となって しみ込んでいたが、痛みを 訴える暇はなかった。今、ここだという指示が指揮棒の先から飛んだその 瞬間に、 克久は大 太鼓を一発、十分に 抑制して 打ち込んだ。もう一発、重要な部分がある。その指示は指揮棒からはこない。ベンちゃんの 眉毛がここだぞとその 打ち込むべき位置を教えた。 克久の一発に続いて、マアさ∵んがシンバルを 華やかに 響かせた。 孔雀がその羽を 震わせながら開く時の光そのものが、マアさんのシンバルの音だった。すかさず金管が高らかに 孔雀の羽の 輝きを 繰り広げる。
金管が 華やかに 孔雀の大きく広げられた羽そのものを表現した中へ、あの夕暮れの風のようなホルンが通り過ぎていき、ティンパニが最後を力強く 締めくくった。次の 瞬間、すべての音は完全に消え失せると同時に、 威勢をほこった 孔雀の姿も消えた。
四十七人の部員と一人の指揮者がいる。
拍手が 湧き起こるより先に、四十七人の部員は、ただの中学生に 戻る。
克久は中学校を卒業するまでの間に何度となくこの不思議な 瞬間を経験することになるが、最初に経験したのはこの時だった。
夢から覚めるというようなあいまいなものではなかった。この世界には 敬虔に 参与すべき何かがあることが明快に身体で解る場所がそこにあった。そこから大事なものは 隠されてしまっている場所へ 戻ったということだ。大事なものは 隠されてはいるが、 克久はその 痕跡をしっかり 握っていた。だから、ホールのロビーで久夫から「上手だな」と言われた時、 妙にしらけた気持ちになった。久しぶりに見る父親の顔だが、 克久はあまりうれしそうな顔はできなかった。
「 俺、ちょっと、二発目の大 太鼓の入りが 遅れたから。まずかった」
「いや、うまいよ。上手だよ」
久夫に言われるほど、 克久はしらけてしまう。そのしらけかたは地区大会で百合子に「小学生とはぜんぜん 違う」と言われた時の、それどころじゃないという感じとは 違った。久夫に「うまい」と言われるほど、 克久の満足した気持ちがにごっていくような感じだった。
( 中沢けい「楽隊のうさぎ」)
その日は土曜で、 読解検定長文 中1 冬 2番
その日は土曜で、 俊亮が帰ってくる日だった。お民と 次郎は、めいめいに 違った気持で 彼の帰りを待っていた。
次郎は 薪小屋に一人ぽつねんと 腰をおろして考えこんでいた。そこへ、お糸 婆さんと 直吉とが、代わる代わるやって来ては、お父さんのお帰りまでに、早く何もかも白状したほうがいい、といったようなことをくどくどと説いた。もうみんなも、 次郎を 算盤の 破壊者と決めてしまっているらしかった。
次郎は 彼らに一言も返事をしなかった。そして、父が帰って来て母から今日の話を聞いたら、きっと自分でこの小屋にやって来るに 違いない。その時何と言おうか、と考えていた。
(何でおれは罪をかぶる気になったんだろう。)
彼はその折の気持が、さっぱりわからなくなっていた。そして、いつもの 押しの強さも、皮肉な気分もすっかり 抜けてしまった。 彼は自分で自分を 哀れっぽいもののようにすら感じた。 涙がひとりでに出た。―― 彼がこんな弱々しい感じになったのはめずらしいことである。
ふと、小屋の戸口にことことと音がした。 彼は、またかと思って見向きもしなかった。だれもはいって来ない。しばらくたつと、また同じような音がする。何だか子供の足音らしい。 彼は不思議に思って、そのほうに目をやった。するとなかば開いた戸口に、 俊三が立っている。
(ちくしょう!)
彼は思わず心の中で 叫んで、 唇をかんだ。
しかし何だか 俊三の様子が変である。右手の食指を口に 突っこみ、ややうつ向きかげんに戸口によりかかって、体をゆすぶっている。ふだん 次郎の眼に映る 俊三とはまるでちがう。
次郎は一心に 彼を見つめた。 俊三は上眼をつかって、おりおり 盗むように 次郎を見たが、二人の視線が出っくわすと、 彼はくるりとうしろ向きになって、戸によりかかるのだった。
かなりながい時間がたった。∵
そのうちに 次郎は、 俊三にきけば、 算盤のことがきっとはっきりするにちがいない、ひょっとするとこわしたのは 彼なのかもしれない、と思った。
「 俊ちゃん、何してる?」
彼はやさしくたずねてみた。
「うん……」
俊三はわけのわからぬ返事をしながら、 敷居をまたいで中にはいったが、まだ背中を戸によせかけたままで、もじもじしている。
次郎は立ちあがって、自分から 俊三のそばに行った。
「 算盤こわしたのは 俊ちゃんじゃない?」
「…………」
俊三はうつむいたまま、 下駄で土間の土をこすった。
「 僕、だれにも言わないから、言ってよ。」
「あのね……」
「うむ。」
「 僕、こわしたの。」
次郎はしめたと思った。しかし 彼は興奮しなかった。
「どうしてこわしたの?」
彼はいやに落ちついてたずねた。そしてさっき自分が母にたずねられたとおりのことを言っているのに気がついて、変な気がした。
「転がしてたら、石の上に落っこちたの。」
「 縁側から?」
「そう。」
「お祖父さんの 算盤って、大きいかい?」
「ううん、このぐらい。」
俊三は両手を七八寸の 距離にひろげてみせた。 次郎は、いつの間にか、 俊三が 憎めなくなっていた。
「 俊ちゃん、もうあっちに行っといで。 僕、だれにも言わないから。」
俊三は、ほっとしたような、心配なような顔つきをして、母屋のほうに去った。∵
そのあと、 次郎の心には、そろそろとある不思議な力がよみがえって来た。むろん、 彼に、 十字架を負う心構えができあがったというのではない。 彼はまだそれほどに 俊三を愛していないし、また、愛しうる道理もなかった。 俊三に対して、 彼が感じたものは、ただ、かすかな 憐憫の情に過ぎなかったのである。しかし、このかすかな 憐憫の情は、これまでいつも 俊三と対等の地位にいた 彼を、急に一段高いところに引きあげた。それが 彼の心にゆとりを 与えた。同時に、 彼の持ち前の皮肉な興味が、もくもくと頭をもたげた。自分でやったことをやらないとがんばって、母を手こずらせるのもおもしろいが、やらないことをやったと言い切って、母がどんな顔をするかを見るのも 愉快だ、と 彼は思った。いわば、 冤罪者が、 獄舎の中で、裁判官を冷笑しながら感ずるような冷たい喜びが、 彼の心の 隅で芽を出して来たのである。
彼はもうだれもこわくはなかった。父に 煙管でなぐられることを想像してみたが、それさえ大したことではないように思えた。むしろ 彼は、これからの成り行きを人ごとのように 眺める気にさえなった。そして、今度母に 詰問された場合、筋道のとおった、もっともらしい答弁をするために、 彼はもう一度 薪の上に 腰掛けて考えはじめた。
もうその時には日が暮れかかっていた。小屋はしだいに暗くなって来た。そろそろ夕飯時である。しかし、お糸 婆さんも、 直吉も、それっきりやって来ない。このまま放っておかれるんではないかと思うと、さすがにいやな気がする。かといって、こちらからのこのこ出て行く気には、なおさらなれない。
(父さんはもう帰ったかしらん。帰ったとすればこの話を聞いて、どう考えているだろう。父さんまでが、もし知らん顔をして、このままいつまでも 僕を放っとくとすると、――)
次郎はそう考えて、胸のしんに冷たいものを感じた。そして、次の 瞬間には、その冷たいものが、石のように 凝結して、 彼をいよいよがんこにした。
(下村湖人「 次郎物語」)
会話で基本的なのは、 読解検定長文 中1 冬 3番
会話で基本的なのは、自分の考えや感情をうまく伝えることだ。もし会話に「 秘訣」というものがあるとすれば、それはこの点にある。自分の考えと感じたことを口に表せて、はじめてあなたはその会話に加わっていると言える。
このことは常識と言えるけれども、実際の会話では実行できなくて、だから会話が生気を帯びてこない。反対に私たちは自分の考えや感情を 隠して 喋ることが多くて、いつの間にか、自分の考えや感情を口に言い表せなくなっている。そういう 傾きがある。自分はどう感じるか、自分はどう考えるか――これが会話意識の中心であるべきなのに、相手はどう感じているのか、どう考えているのか――この方向に意識が働きがちなのである。
自分の考えや感じたことを言い表すことは 欧米の会話の原則だが、この明るい原則の裏側にある意識も 彼らは十分に 開拓している。すなわち、自分の考えを表明するのではなくて 隠すために 喋るという意識である。
「 欺そうとして 黙っていることと、 欺そうとして 喋くること―この両方を見わけねばならぬ。」とヴォルテールは言っている。
私たちの間では、「都合の悪いことは言わない」という会話常識がある。 欺そうとして、 黙っているという方向だ。それほど意識的でなくとも、 黙っていることで 隠そうとする 傾きがある。しかし西洋の会話では、相手が 黙る時はなにか 隠していると 勘ぐることが多い。そこで逆に積極的に 嘘を 喋って本当のことを 隠そうとする。時にはそれが人の習性となることもある。それでヴォルテールはまた言っている――「人は自分の本当の考えを 隠すためにのみ会話を用いる。」と。
実際、たいていの人々は 互いの本当の考えや気持ちを 隠して 喋りあい、それを会話と呼んでいるとも言える。そんなやり取りが大部分を 占めるのかもしれない。しかしそんな浅い層をもって会話を代表させたり、その層での技術や 喋り方を教習したりするのは、本書の目的ではない。やはり、「自分の心を開いて語る人こそ、あなたを喜ばす人だ」というジョンソン博士の言葉を第一としたいが、そこに至る前にまあもう少しこの浅い層の会話相を語ろう。
「人の頭脳は、ひとつのことを言いつつ他のことを考えるくらい、∵わけのないことなのだ」(ピュブリリウス・シルス)
これはすでにローマ時代の発言であり、以来、 西欧の知性人は、考えることと口にすることとの 分裂を意識しつつ現代に至っている。私たちと比べて 彼らはずっと、思ったことをすぐ口にする 傾向なのだが、それでも思ったことを口にして人を傷つけることには、 彼らなりに用心する。
私たちは「思わず口が 滑った」と言う。英語ではそれをa slip of the tongueと言い、ともに「 滑る slip」で 一致しているのは面白い。心に 隠しておいた考えがつい口に出てしまう時、私たちはそれにかなり 寛大であり、ゆるしたり無視したりするが、 欧米人の会話では、そのスリップを許さないことが多い。その場で追求するか、 憶えていてあとでトッチめるかする。 彼らの心は 一般に鋭く働き、批判的な見方をしがちだ。それを 剥きだしに言えば相手の感情を傷つけると知っていながら、なかなか舌の働きを 押さえられない。
「会話の 秘訣はなにか――自分の言うべきことを心得るという点ではなくて、自分の言ってはならぬことを心得ておくという点である」(無名氏)
こんな言葉が 戒めとなるのも、 彼らの口が 滑りがちだからで、自分の考えを伝えるにしろ、 隠すにしろ、とにかく 喋るのである。その気持ちだけは 押さえられない。当然に、言ってはならぬことへの自制を欠いてスリップしがちなのだ。
このことは私たちの側から考えるとさらに 明瞭になる。
私たちは言ってはならぬことを意識しすぎて自制し、その結果、 黙りがちとなり、会話が活発にならず、それで 互いが 退屈する。そういう 傾向のほうがつよい。会話では上下の関係、家庭では夫婦の間、学校では教師と学生の間、そういう関係にはこの意識がまだ強く残っている。
私たちは 遠慮深さや 慎みのかげに 隠れて、都合のわるいことを言わずにすます。自分の心にある気持ちを明かさずにすます。知らん∵ぷりをする。相手に忠告することのできる時にも、しないですます。いつしか自分の心を開いて話す習慣を見失ってゆく。こういったネガティブ(否定的・消極的)な面を発達させている。
それでこの無名氏の「言ってはならぬことを心得よ。」という警句は、私たちには必要でない。私たちは「言ってはならぬこと」を忘れようとすべきだ。なぜなら意識的にせよ無意識的にせよ、私たちは常にこの警告を念頭にもつからだ。むしろ「言ってはならないこと」という心の 枠を大はばに取り去っても、毒念さえなければ相手を傷つける 恐れがないのだ。
まずそういう心のなかの「 枠はずし」によって、生きた会話の復活にむかいたい。
私たちの「口をつつしむ」心は美徳から来ている。私たちのほうが外国人よりもずっと会話の 礼儀をわきまえ、自我を 押さえる自己訓練ができている。調和を考え、 遠慮し、用心深く、相手にいやな思いをさせまいとする。そういう社会的訓練もできている。社会的に洗練されていて、時には( 彼らの目から見ると) 痴呆的なほど自己主張や自己 顕示の欲望を表に出さない。私たちのこういう心性の高さは 彼らには分からない。分からせるには、私たちはうんと 喋って 彼らにそれを知らせるほかないという 矛盾が生じる。
彼らに私たちの 礼儀や心くばりを態度で伝えることはとても不可能であり、仕方がないのでこちらが 彼らのほうにおりてゆく。 お喋りの仲間に加わるほかない。そして 彼らの「会話」に加わるとなれば、それは町の「英会話学校」での会話よりももっと率直な「会話」となるべきなのだ。そしてここまでくると、かえって、私たちの会話は上質なものとなるだろう。なぜなら、調和や 慎みぶかさと率直な明快な表現力が 融合して、それこそ「会話」をする人の大きな 魅力がそこに発揮されるからだ。
(加島 祥造「会話を楽しむ」)
それにしても、五億冊というのは 読解検定長文 中1 冬 4番
それにしても、五億冊というのはおどろくべき数字である。世界広しといえども、これだけの量の本がつくられ、そして消費されている国は、そうたくさんはない。おそらく、日本人は、世界中で最もよく本を読む民族なのである。
そして、つくられ、消費される本の量以上に注目すべきことは、このように大量の書物が日本では家庭の中にまでとけこんでいるという事実である。四人家族で年に十二冊、五年で百冊、とにかくちょっとした「蔵書」が、たいていの家庭でできあがっているのだ。
もちろん、西洋の家庭にも多少の書物がないわけではない。しかし、わたしの見たかぎりでは、ふつうの家庭の場合、書物はたとえば 暖炉のうえに数札の小説がのっている、という程度のものであって、何十冊も何百冊もが 本棚を 埋めているのは、かなり知識人の家庭にかぎられている。
実際、家庭用の 本棚をこんなに多種類とりそろえて家具売り場で売っている国は、世界でおそらく日本だけだ。アメリカでもヨーロッパでも、もし家庭用の 本棚というものがあるとすれば、せいぜい、サイドボードぐらいのものであって、数十冊を収容することなど、とうていできそうもない。 本棚は、よほど 特殊な場合は別として、家庭の標準備品ではないのである。
ところが、日本の家庭にはたいてい 本棚がある。規模の大小は別として、ともかく「蔵書」がある。たとえば 書斎はなくても、 廊下のつきあたりとか居間の 壁ぎわとかに 本棚があり、全集ものがならんでいる。それが平均的な日本の家庭の風景なのだ。書物のない家庭は日本にはない。
これと対照的に西洋の家庭で気がつくのは、やたらに大型のグラフ雑誌などがゆきわたっているという事実だ。どこの家に行っても、アメリカなら、たとえば『ライフ』のような雑誌が居間の机の上に、必ずといってよいほど積み重ねてある。しかし、それは日本の家庭ではあまり見かけない風景だ。事実、日本のグラフ雑誌は、だいたいお医者さんや 床屋さんの待合室の備品であって、家庭の備品にはなりにくいのである。
それでは、書物を備品とする日本の家庭とグラフ雑誌を備品とする西洋の家庭とは、どうちがうのだろう。第一にいえることは、グラフ雑誌がその読まれ方、あるいは見られ方において集団的であるということだ。居間のソファに 腰をおろして、主婦がグラフ雑誌を∵開いているとき、夫や子どもは、それに「参加」することができる。グラフは、一種の絵本のようなものだから、それをのぞきこんでいっしょに見ることができるのだ。ちょうどそれはテレビを見ているようなもので、集団的なものである。
だが、書物となると、そういうわけにはゆかない。書物はひとりで読むものである。のぞきこんでいっしょに読むことは難しいし、第一、そんなことをされたら落ち着かない。たとえすぐそばにだれかがいても、読書というのは 孤独な個人の 行為なのである。
だから、日本の茶の間では、たとえば、主人が経営学の本を読み、主婦は文学全集を、子どもはマンガを、それぞれに 黙って読んでいる、といったような風景が出現する。一冊のグラフ雑誌をかこんで、家庭の全員が集団的になにかを見るのではなく、家族のそれぞれが、それぞれの本を通じて、それぞれの世界に 没入している――それが日本の家庭における読書風景なのだ。
いささか 飛躍するようだが、これはことによると、日本の住居に個室がないことと関係しているのかもしれない。どこにいても、家族と顔をつきあわせていなければならないのだから、せめて本でも読んで、自分だけの精神の個室をつくりたい、という欲求が生まれるのである。ひとりひとりが個室をもっている西洋人が、居間のグラフ雑誌をかこんで集団的な世界をたのしむのに対して、もともとがべったりと集団的な日本の家庭では、書物によって、個室的な世界を求めようとするのだ、といってもよい。いつだったか、三 畳ひと間に六人というひどい住宅 環境を 紹介するテレビ番組を見ていたとき、この六人の家族が、みな 肩を寄せあって、それぞれに本を読んでいた情景にわたしは打たれたことがある。
現実に個室が十分でないとき、人は、心理的な個室を、読書という方法で手に入れることができるのである。
( 加藤秀俊「暮しの思想」)
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