どんなときにイヌは 読解検定長文 中1 秋 1番
どんなときにイヌは 怒るのかといえば、まず自分の 縄張りに 侵入されたときである。たとえば、ボールが 生垣の下からよその家の庭に 転がり込む。それを取りに庭へ 入り込んで、もしそこにイヌがいたら、帰りがけに、後ろから 尻を 咬まれるだろう。その家が留守ではなく、イヌにはボスにあたる飼い主がいたら、いつもは 臆病なイヌでも 攻撃的になって当然である。
警察犬や軍用犬用に特別に訓練されたイヌは別だが、イヌにとって人間を 襲うことは、かなりの勇気のいる 行為である。たとえ相手が小学生であっても、目の位置はイヌよりも上にある。イヌは 家畜として人間と 一緒に暮らしてから一万年以上も経ってはいても、その目に映るホモサピエンスは、大きな動物に見えるはずである。目の位置からの判断では子どもだって 月の輪熊よりは大きい。したがって、イヌが人を 咬むのは、 せっぱ詰まっての 反撃なのであり、原因のほとんどを人間のほうが作っている。
イヌが 怒りを 爆発させて、 攻撃を仕かける前には、まず 警戒のボディランゲージを見せる。背なかの毛を立て、 四肢を 踏ん張って、 尾を小刻みに 振るのは、相手を 警戒している 証拠である。気が弱いイヌなら、このとき口を上にむけて 吠えたてる。 吠え声は仲間に 援助をもとめるためのものである。
気の強いイヌほど、この 警戒から 怒りへの移行は早い。 尾をぴんと立て、歯をむきだしにして、 唸り声をだしたら危ない。このときの耳は後方に引かれて 伏せられている。この 怒りを無視して近づいたら 咬まれることになる。
人間でも親しい人は別として、赤の他人が、ある一定の 距離を 超えて近づいてきたら不快感を持つ。満員電車がその好例だ。われわれが満員電車に乗れるのは、社会の通念という、ひとつの約束事を理性が知っているからである。だから同じ電車の同じ 車輌という空間でも、ガラガラに空いているとき、なぜか赤の他人が自分に∵接近して、服と服が 接触する 距離まできたら、 普通の神経の持ち主なら不安感を 抱くだろう。相手がこわそうな男なら、不安はすぐ 恐怖に変わると思う。
動物学会ではこの不快感を持つ 距離を臨界 距離というわけだが、イヌにも当然、この 距離がある。相手が親愛の意を示さずにこの 距離の中へ 踏み込めば、イヌの感情が不安、 警戒、 怒りと移行していくのは不思議ではない。
うっかり臨界 距離まで近づいたら、どうするか。そんなときは、さりげなく 距離を広げるのが良い。あわてて 駆け出すとイヌの 狩猟本能を 刺激して追いかけられる。中型犬だと百メートルを七秒以内で 駆けるから、ルイスだってジョイナーだって 逃げきれるものではない。イヌの目を絶対に見ないようにして、静々と 退却するのが 賢明な策なのである。
イヌを座らせて 叱言をいったことのある人は知っていると思うが、 叱言をいわれているイヌは絶対といっていいほど、人の眼を見つめないものである。イヌにとって視線を合わせるのは 挑発を意味するからである。これ以上、 叱言をいわれたくないイヌは視線をそらすわけだ。したがって、 警戒態勢でいるイヌをみつめたらイヌは 怒りだす道理である。
( 沼田陽一「イヌはなぜ人間になつくのか」)
冬のパリは 読解検定長文 中1 秋 2番
冬のパリは、灰色の暗い空におおわれる。その下を、毛皮のオーバーを着こんだご婦人たちが体つきの小さな犬を連れて歩いていく。犬にも 胴まわりに毛皮で編んだものを着せたりして、かわいい。
そこには、しかし、一つのはっきりしたヨーロッパ人の考えが表されている。犬には保護を加えるが自由な意志は認めない。犬にひもをつなぎ、その 端をしっかりにぎって、犬を連れて歩くのが人間というものであり、犬に引っぱられて歩くのでは人間とはいえない。大きい犬だと、この点うまくいかないし、だいいちパリのようなアパート生活では、飼いにくい。
「お母さん、今あなたはお子さんの手を引いていますか。警視庁」などという、まことに親切な看板が東京都内のあちこちに立っている。小さな子供は、たしかにパッと 衝動的に往来へと飛び出したりする。母親が魚屋や八百屋の店先で、買い物に目の色を変えているときなどとくに危ない。つまり、小さな子は子犬みたいなものだ。
犬なら、ひもでつなぐのが、いちばんである。それが最も確実安全で、子供を死地に追いやることもなく、親も保護 監督の義務をちゃんと果たすことができる。つまりは、子供のため、親のため、ということになる。
パリの若い母親は、これを実行している。ちょこちょこ歩きはじめたわが子に「 腰なわ」を打ち、自分の 胴体にそのひもをくくりつけて買い物をする。いかに目をはなし、おしゃべりに夢中になろうとも、子供には一、二メートルの行動半径しか自由がないわけだから、ぜったいに安心である。したがって、パリには警視庁のような看板は立っていない。
「かわいそうで、そんなこと、とってもできないわ。」と日本のお母さんがたはおっしゃるにちがいない。そこにはヨーロッパと日本の文化の差、 有畜農業と無 畜農業の差が横たわっている。ヨーロッパ人は長い間、 家畜を大切に飼い、農耕に使い、そして殺して食べることによって生きてきた。 家畜なしには、そもそも生活が成り立たなかった。
家畜のように理性を持たぬ生き物を人間、ないしは人間社会のルールに従わせるには、体でおぼえさせるほかはない。この 家畜飼育法が、幼い子供へのしつけにも応用されている。∵
「おはようございます。」というまでは朝ごはんを食べさせない、道にすてたゴミを自分でひろってゴミ入れに入れるまでは自由を 与えない、といったしつけが、日常茶飯事として、おだやかに、しかし、きびしくくり返される。
それでも言うことをきかなければ、人前だろうとなかろうと、 遠慮会釈なく、おしりをたたく。なおだめなら、最後は裁判所にうったえ出る。すると、裁判長は、理由の 如何を問わず子供に対する 逮捕状を出し、少年院に強制収容する。一九七〇年までのフランスがそうであった。
ラッシュアワーは別として、昼どきの日本の電車内は、子供の遊園地と化す。子供たちはのびのびと電車内で徒競走に興じ、つりかわでブランコを楽しむ。母親は子供に、次から次へと食べ物を 与えている。幸せな光景である。日本は無 畜農業の国だから、 家畜や子供を 威厳をもってたたき、しつけながら愛情をもって育てるという考え方がない。日本は昔から子供に対するしつけがあまかったようである。 稲や白菜をむちでたたいてみても、どうなるものでもない。育てるコツはただ一つ、ひたすらこやしをかけることだけだ。
ヨーロッパの子供が子犬なら、日本の子供は 稲か白菜である。だから、母親は車内で子供をしかることもなく、アメだのチョコレートだのを 与えている。あれはせっせとこやしをかけているのだ。土のにおいに満ちた民族の遠い 記憶が、そうさせるのにちがいない。
(木村 尚三郎の文章より)
竹下君よ 読解検定長文 中1 秋 3番
「竹下君よ」と山田が思い出したようにいった。
「 昇は少し生意気なのと 違うか」
「今日もな」と 秀がいいかけると、
「おれもなあ」と松も何かいいかけようとした。
二人が同時に何かを 訴えようとするのをさえぎるように進がいった。
「 昇のことは任しとけ。もう少したったらちょっと痛い目に合わしてやろうと思うとれど、病気上がりやから 遠慮しとるんや」
「そうやろう、おれもそう思っとったわ」と山田が安心したようにいった。
「病気になる前もえらい生意気なところがあったなあ、竹下君」と松がいった。
「 磯介とよ」と山田が 吐き捨てるようにいった。
「まあ任せとけ」と進が落ち着いた声でいうと、「われらにいいものやるっちゃ」とポケットからゴソゴソと 袋を取り出し、みんなにその中味を一つずつ 与えた。さつまいもをふかして干したものだった。
「これなあ、焼いて食べると、もっとうまいんやけどなあ」としばらくして進がぼくにいった。
「そうやろうなあ」とあいづちを打ったが、ぼくは焼かないでもおいしいと思った。今までに見たことはあっても、食べたのはこれが初めてだった。 米の供出量の関係で、 伯父の家はさつまいもを作っていなかった。 乾燥いもはぼくがふだんから食べてみたいと願っていたものの一つだった。
ぼくは心の中でひそかにそうしたものをみんなに 貢がせて食べることのできる進の立場をうらやましく思いながら、同時にそう思っている自分を 恥じた。
「うまいじゃあ、竹下君、この 乾燥いも」とふだん絶対といっていいぐらい、おこぼれにあずかれない 一郎が、一番うしろの列から感激の声を挙げた。こんな風に進がみんなに 貢物を分かち 与えたことは今までになかったことだった。
「もう一枚ずつやるわい」と進はいって、みんなにまた一枚ずつわ∵け 与えた。どれも分厚いみごとな 乾燥いもだった。
「竹下君よ」と 磯介がいった。「この 乾燥いも、 昇が持って来たんやろう」
「それがどうした」と進が 不機嫌に答えた。
ぼくはひどくがっかりした。その時まで 昇だけが進に対等の態度を取ろうとする勇気を持った 唯一の同級生かも知れないと思っていたからである。ぼくはこんな夢さえ 抱いていたのだった。 昇とぼくの二人はいつか協力して進の専制的な暴君ぶりを改めさせる、進は前非を 悔いる。級の空気は一変し、みんなが同じような立場で、仲よくはつらつとつき合えるようになる。ぼくは 維新を、革命を夢みていたのだった。その主要な立て役者だった 昇が 脱落してしまったのだ。
「もうずっと遊びに入れてやらあ」と松がいった。
「ああ、様子を見てな」と進が 不機嫌に答える。
ぼくは進に今さらのように 恐怖の念を覚えた。進の権力の 偉大さをまざまざと知らされた思いがした。もうこれからは一切進に 反抗するのは止めようとぼくは考えた。――できるだけ心して進の 御機嫌を損じないように努め、進の 庇護を 仰ごう。それがここにいる間、戦争が勝つまでここに暮らしている間、ぼくの安全を確保する 唯一の道なのだ。心を売らなくてもいい、表面だけでもそういう態度をとらなくてはならない、とぼくは自分にいい聞かせた。
潔 読解検定長文 中1 秋 4番
「潔」と進がいった。「われのところに新しい本が東京から送って来たと 違うか」
「ああ」ぼくはいった。「この間、小包で送って来たんや」
「貸してくれんか」と進はやさしくいった。
「いいよ」
とぼくはほとんどいそいそとしていった。進の意を 迎えることのできる材料が意外にも身近にあったのがうれしかった。
「今日持って行こうか」
「おれがわれんちに行くわい」と進はいった。
その日進は約束した通りやって来た。ぼくはかれを自分の部屋に通して、 伯母にたのんでそこに作ってもらってあったこたつに入るように 勧めた。
進はぼくの見せた本のどれにもこれにも目をかがやかした。
「東京にはもっとあるんやろう」
「たのむから送ってもろうてくれんか」
「おれ今まで家の手伝いで読めんなんだろう、冬に入ってようやく読む時間ができたんや」
「四月に入れば、中学に入るための勉強せんならんから、読めんようになるしな」
と進は興奮したように次から次へとしゃべった。
東京に残っている本を小分けにして小包で送って欲しいとその日のうちに手紙でたのんでみると進に約束すると、進はようやく興奮を 鎮め安心した風を見せた。
――その日進は 高垣眸の「 竜神丸」と南 洋一郎の「 吼える密林」とを借りて行った。
そして進との交友は再び復活し、冬休みの時と同じくらいの 頻度でおたがいの家を 往き来した。家での進は学校での進と別人の観があった。進が学校でも、家で会う時と同じように 振る舞ってくれたら、ぼくは進を本当に親友と見なし大切に思ったに 違いない。しかしぼくは家を出て家に帰るまでの進の専横な 振る舞いを決して忘れるわけには行かなかった。進がそんなぼくの気持ちに感づいていたかどうかは分からなかった。しかしとにかくぼくたちは二人だけでいる限り、気が合い、話題も 尽きなかった。話は戦争の 見込みや、∵勉強の計画、自分たちの将来などに 及んだ。
たとえば将来の夢について、「戦争が長びくようやったら」と進はいうのだった。
「おれァ、海兵を受けることにやっぱり決めたわ」
もし終わったらどうするかというぼくの問いに対してかれは答えた。
「高等学校へ入って 帝大へ行き高文を受けて、 官吏になるわ、われの家の人みたいにな」
かれの頭に、成功した郷里の 先輩としてぼくの父が 描かれていたことに 間違いなかった。そしてかれがおそれていることは戦争が早く終わって、ぼくが東京に早く 引き揚げてしまい、 一緒に受験勉強もできなくなってしまうことらしかった。その 証拠に、かれは何度となく、
「戦争が終わっても六年はここで終えて行くのやろ、それから東京の中学を受ければいいにか」とぼくに確かめたからである。もちろんぼくはそうするつもりだと 嘘をついた。
ぼくらはよく 一緒に 風呂へも行った。すると 風呂で 一緒になる大人たちは、 浜見一番のあんぼ(しっかり者の長男)と 寛平さの東京の子がすっかり意気投合し親友になったことを祝福してくれた。するとぼくの心は自分が 間違って見られていることに対する不満と、そんな風に誤解されてもしようがないように 振る舞っている自分に対する 嫌忌の念にひそかに包まれた。ぼくはいつも心の 奥底で、自己に忠実でありたかったから、家に帰ってからの進との往き来を今のような形で続けるのを 拒否すべきか、もしくは進の方で学校での態度を改めるべきだと思っていた。そのことが二つとも実現しない限り、自分に忠実でなく、 虚偽の生活を行っているのだと思っていたのだった。しかし現実のぼくは、内心の願いとはまったく逆に、 昇の 貢物の一件以来、進の勢力の 偉大さを思い知らされ、もはや 昇と協力して級を改革する夢にふけることもできなくなり、努めて進の意にそうように 振る舞っているのだった――
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