三月十五日、いつものように 読解検定長文 中3 冬 1番
三月十五日、いつものように長谷川 伸先生のお宅へうかがって、お居間の障子をあけてペコンと お辞儀をして、きょうは先生のお誕生日、おまけに喜の字のお祝いの日だから、
「おめでとうございます。」
と申し上げたら、毎度のことで私よりもぐんと低く頭を下げて応じてくださる先生のお顔がひどく若々しく見えた。若く、と気がついたのはしばらくたってからで、その時は、なんだか知らないが変わったと感じたのが本当のところだ。間もなく、ヒゲをそったんだよ。と先生がいわれて、ああと思った。
「ヒゲをそって、若返ったつもりでみんなと 一緒に勉強するよ。」
と改めておっしゃる。再びああと思った。 涙が出そうになって困った。だから、きょうの先生はお若く見えるのか、とようやくにして気がついた。同時に若い者に負けぬぞという先生の 気迫がびりっと来て、私は必死になった。先生の門下生で一番若いのが私である。ファイトを燃やさずにはいられない。私がエッチラオッチラ登って行く坂道の上のほうで、先生は 腰をおろして待っていてくださるのではない。先生も 汗水流して登っておられるのだもの、おいてきぼりを食ってたまるもんかと思うのだ。
坂道で思い出した。先生からうかがった思い出話にこんなのがある。
坂道を荷車が上がっていた。先生と 奥様が通り合わせ、容易ではない荷車の様子を見てあと 押しをした。荷車の主はそれと気づいてお礼をいおうとしたが、車が坂を上がりきった時、先生方は道の反対側へ行ってしまっていたので、だれが 押してくれたのやら、荷車の主にはわからない。荷物のかげで見えないのだ。ところが向こうから来た見ず知らずの人が、先生と 奥様へありがとうございましたと、そっと頭を下げて行ったというのだ。
この話、私は外で情けないことがあってベソをかいている時に聞かされた。雨があがって、 曇りのち晴れになったことはいうまでもない。その時に、もし私がお調子に乗って、車を見つけたら私も 押します。だれもお礼をいってくれなかったら自分でありがとうといいます。とでもしゃべったら、きっと先生は笑いながら、 押すのもいいが、 押してもらっているのを忘れるなよ、とおっしゃりはし∵なかったかと考える。
最近、私は先生の受け売りをよくやる。私が先生のその時のお言葉に救われたと同様にか、また別な意味で私の受け売りにマブタを熱くする人がきっとあるに 違いないと思うからである。先生は伝道師でも 講釈師でもないから、だれにでもその各々に適した話をしてあげることはなさらない。だから私が受け売りをする。
少々は 間違った受け売りの仕方をしても先生は苦笑しておっしゃるに 違いない。
「アンテナのいい子だとほめたけれど、どうも近ごろはチャンネルが多すぎるらしいね。」
すみません。先生、大至急でアンテナのそうじをします。
(平岩弓枝「お宮のゆみちゃん」)
猫は吐き気がなくなりさえすれば 読解検定長文 中3 冬 2番
猫は 吐き気がなくなりさえすれば、 依然として、おとなしく 寝ている。このごろでは、じっと身をすくめるようにして、自分の身を支える 縁側だけがたよりであるというふうに、いかにも 切り詰めたうずくまり方をする。目付きも少し変わってきた。はじめは近い視線に、遠くのものが映るごとく、 悄然たるうちに、どこか落ち着きがあったが、それが次第に 怪しく動いてきた。けれども目の色はだんだん 沈んでゆく。日が落ちてかすかな 稲妻があらわれるような気がした。けれども放っておいた。妻も気にかけなかったらしい。子供はむろん 猫のいることさえ忘れている。
ある晩、 彼は子供の 寝る夜具のすそに腹ばいになっていたが、やがて、自分の 捕った魚を取り上げられる時に出すような 唸り声をあげた。妻は針仕事に余念がなかった。しばらくすると 猫がまた 唸った。妻はようやく針の手をやめた。自分は、どうしたんだ、夜中に子供の頭でもかじられちゃ大変だと言った。まさかと妻はまた 襦袢のそでを 縫いだした。ネコはおりおり 唸っていた。
明くる日は 囲炉裏の 縁に乗ったなり、一日 唸っていた。茶をついだり、やかんを取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると 猫のことは自分も妻もまるで忘れてしまった。 猫の死んだのは実にその晩である。朝になって下女が裏の物置きに 薪を出しに行った時は、もう 硬くなって、古いへっついの上に 倒れていた。
妻はわざわざその死様を見に行った。それから今までの 冷淡に引きかえて急に 騒ぎだした。出入りの車夫を 頼んで、四角な墓標を買ってきて、何か書いてやってくださいと言う。自分は表に 猫の墓と書いて、裏に「この下に 稲妻起こる 宵あらん」としたためた。車夫はこのまま 埋めてもいいんですかと聞いている。まさか 火葬にもできないじゃないかと下女が冷やかした。
子供も急に 猫をかわいがりだした。墓標の左右に 硝子のびんを二つ活けて、 萩の花をたくさん 挿した。茶わんに水をくんで、墓の前に置いた。花も水も毎日 取り替えられた。三日目の夕方に四つにな∵る女の子が――自分はこの時 書斎の窓から見ていた――たった一人墓の前へ来て、しばらく白木の棒を見ていたが、やがて、手に持った、おもちゃの 杓子をおろして、 猫に供えた茶わんの水をしゃくって飲んだ。それも一度ではない。 萩の花の落ちこぼれた水のしたたりは、静かな夕暮れのなかに、 幾度か愛子の小さいのどを 潤した。
猫の命日には、妻がきっと一切れの 鮭と、 鰹節をかけた 一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れたことがない。ただこのごろでは、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間のたんすの上へ乗せておくようである。
(夏目 漱石「 猫の墓」)
その子供には、実際、 読解検定長文 中3 冬 3番
その子供には、実際、食事が苦痛だった。体内へ色、 香り、味のある 塊を入れると、何か身が 汚れる気がした。空気のような食べ物はないかと思う。腹が減ると 飢えは十分感じるのだが、うっかり食べる気はしなかった。 床の間の冷たく 透き通った 水晶の置物に、舌を当てたり、 頬を付けたりした。 飢えぬいて、頭の中が 澄みきったまま、だんだん気が遠くなって行く。それが谷地の池水を 隔てて、 丘の後ろへ入りかける夕陽を 眺めているときででもあると、子供はこのままのめり 倒れて死んでも構わないとさえ思う。だが、この場合はくぼんだ腹にきつく 締めつけてある帯の間に両手を無理に 差し込み、体は前のめりのまま首だけ 仰のいて、
「お母さあん。」
と呼ぶ。子供の呼んだのは、現在の生みの母のことではなかった。子供は現在の生みの母は家族中でいちばん好きである。けれども子供には、まだほかに自分に「お母さん」と呼ばれる女性があって、どこかにいそうな気がした。自分がいま呼んで、もし「はい」と言ってその女性が目の前に出て来たなら、自分はびっくりして気絶してしまうにちがいないとは思う。しかし、呼ぶことだけは悲しい楽しさだった。
「お母さあん。お母さあん。」
薄紙が風に 震えるような声が続いた。
「はあい。」
と返事をして現在の生みの母親が出て来た。
「おや、この子は、こんな所で、どうしたのよ。」
肩をゆすって顔を のぞき込む。子供は 勘違いした母親に対して何だか 恥ずかしく、赤くなった。
「だから、二度三度ちゃんとご飯食べておくれと言うのに。さ、ほんとに後生だから。」
母親はおろおろの声である。こういう心配のあげく、卵と 浅草海苔がこの子のいちばん性に合う食べ物だということが見出されたのだった。これなら子供には腹に重苦しいだけで、 汚されざるものに感じた。
子供はまた、ときどきせつない感情が、体のどこからからかわか∵らないで体いっぱいに 詰まるのを感じる。そのときは、酸味のある 柔らかいものなら何でも 噛んだ。生梅や 橘の実をもいで来て 噛んだ。さみだれの季節になると、子供は都会の 中の丘と谷あいにそれらの実の在所を、それらをついばみに来るからすのようによく知っていた。
子供は、小学校はよく出来た。一度読んだり聞いたりしたものは、すぐわかって 乾板のように脳のひだに焼きつけた。子供には学課の容易さがつまらなかった。つまらないという 冷淡さが、かえって学課の出来をよくした。
家の中でも学校でも、みんなはこの子供を別物 扱いにした。
父親と母親とが一室で言い争っていた末、母親は子供のところへ来て、しみじみとした調子で言った。
「ねえ、おまえがあんまりやせていくもんだから学校の先生たちの間で、あれは家庭で健康の注意が足りないからだという話が持ち上がったんだよ。それを聞いて来てお父さんは、ああいう性分だもんだから、わたしに意地悪く当たりなさるんだよ。」
そこで母親は、 畳の上に手をついて、子供に向かってこっくりと頭を下げた。
「どうか 頼むから、もっと食べるものを食べて、太っておくれ。そうしてくれないと、わたしは毎晩、いたたまれない気がするから。」
子供は自分の異常な性質から、いずれは犯すであろうと予感した罪悪を犯した気がした。わるい。母に手をつかせ、おじぎをさせてしまったのだ。頭がかっとなって体に 震えが来た。だが不思議にも心はかえって安らかだった。すでに自分は、こんな不幸をして悪人となってしまった。こんなやつなら、自分は 滅びてしまっても自分で 惜しいとも思うまい。よし、何でも食べてみよう。食べ慣れないものを食べて体が 震え、 吐いたりもどしたり、その上、体中が 濁り腐って死んでしまってもよいとしよう。生きていて始終食べ物の 好き嫌いをし、人をも自分をも 悩ませるよりその方がましではあるまいか――。
子供は、平気を装って家のものと同じ食事をした。すぐ 吐いた。∵口中や 咽喉を極力無感覚に 制御したつもりだが 嚥み下した 喰べものが、母親以外の女の手が 触れたものと思う 途端に、 胃袋が不意に逆に 絞り上げられた――女中の 裾から出る 剥げた赤いゆもじや 飯炊き婆さんの横顔になぞってある黒 鬢つけの印象が胸の中を暴力のように 掻き廻した。
兄と姉はいやな顔をした。父親は、子供を横眼でちらりと見たまま、知らん顔をして 晩酌の 盃を 傾けていた。母親は子供の 吐きものを始末しながら、 恨めしそうに父親の顔を見て、
「それご覧なさい。あたしのせいばかりではないでしょう。この子はこういう性分です」
と 嘆息した。しかし、父親に対して母親はなお、おずおずはしていた。
( 岡本かの子「 鮨」)
その翌日であった。 読解検定長文 中3 冬 4番
その翌日であった。母親は青葉の映りの 濃く射す 縁側へ新しい 茣蓙を 敷き、 俎板だの包丁だの水 桶だの 蠅帳だの持ち出した。それもみな買い立ての真新しいものだった。
母親は、自分と 俎板を 距てた向こう側に子供を 坐らせた。子供の前には 膳の上に一つの皿を置いた。
母親は、 腕捲りして、 薔薇いろの 掌を差し出して手品師のように、手の裏表を返して子供に見せた。それからその手を言葉と共に調子づけて 擦りながら 云った。
「よくご覧、使う道具は、みんな新しいものだよ。それから 拵える人は、おまえさんの母さんだよ。手はこんなにもよくきれいに洗ってあるよ。判ったかい。判ったら、さ、そこで――」
母親は、 鉢の中で 炊きさました飯に 酢を混ぜた。母親も子供もこんこん 噎せた。それから母親はその 鉢を 傍らに寄せて、中からいくらかの飯の分量を 掴み出して、両手で小さく長方形に 握った。
蠅帳の中には、すでに 鮨の具が調理されてあった。母親は素早くその中からひときれを取り出してそれからちょっと 押さえて、長方形に 握った飯の上へ 載せた。子供の前の 膳の上の皿へ置いた。玉子焼 鮨だった。
「ほら、 鮨だよ。おすしだよ。手々で、じかに 掴んで 喰べても好いのだよ」
子供は、その通りにした。はだかの 肌をするする 撫でられるようなころ合いの酸味に、飯と、玉子のあまみがほろほろに交ったあじわいが丁度舌一ぱいに乗った具合――それをひとつ 喰べてしまうと体を母に 拠りつけたいほど、おいしさと、親しさが、ぬくめた 香湯のように子供の身うちに 湧いた。
子供はおいしいと 云うのが、きまり悪いので、ただ、にいっと笑って、母の顔を見上げた。
「そら、もひとつ、いいかね」
母親は、また手品師のように、手をうら返しにして見せた後、飯を 握り、 蠅帳から具の 一片れを取りだして 押しつけ、子供の皿に置∵いた。
子供は今度は 握った飯の上に乗った白く長方形の切片を気味悪く 覗いた。すると母親は 怖くない程度の 威丈高になって、
「何でもありません。白い玉子焼きだと思って 喰べればいいんです」
といった。
かくて、子供は、 烏賊というものを生まれて初めて 喰べた。 象牙のように 滑らかさがあって、生 餅より、よっぽど歯切れがよかった。子供は 烏賊鮨を 喰べていたその 冒険のさなか、 詰めていた息のようなものを、はっ、として顔の力みを解いた。うまかったことは、笑い顔でしか現さなかった。
母親は、こんどは、飯の上に、白い 透きとおる切片をつけて出した。子供は、それを取って口へ持って行くときに、 脅かされるにおいに 掠められたが、鼻を 詰まらせて、思い切って口の中へ入れた。
白く 透き通る切片は、 咀嚼のために、上品なうま味に 衝きくずされ、程よい 滋味の圧感に混じって、子供の細い 咽喉へ通って行った。
「今のは、たしかに、ほんとうの魚に 違いない。自分は、魚が 喰べられたのだ――」
そう気づくと、子供は、はじめて、生きているものを 噛み殺したような 征服と 新鮮を感じ、あたりを広く 見廻したい 歓びを感じた。むずむずする両方の 脇腹を、同じような 歓びで、じっとしていられない手の指で 掴み掻いた。
「ひ、ひ、ひ、ひ、ひ」
無暗に 疳高に子供は笑った。母親は、勝利は自分のものだと見てとると、指についた 飯粒を、ひとつひとつ 払い落としたりしてから、わざと落ちついて 蠅帳のなかを子供に見せぬよう 覗いて 云った。
「さあ、こんどは、何にしようかね……はてね……まだあるかしらん……」子供は 焦立って 絶叫する。
「すし! すし!」∵
母親は、 嬉しいのをぐっと 堪える少し 呆けたような――それは子供が、母としては一ばん好きな表情で、 生涯忘れ得ない美しい顔をして、
「では、お客さまのお好みによりまして、次を差し上げまあす」
最初のときのように、 薔薇いろの手を子供の眼の前に近づけ、母はまたも手品師のように裏と表を返して見せてから 鮨を 握り出した。同じような白い身の魚の 鮨が 握り出された。
母親はまず最初の試みに注意深く色と 生臭の無い魚肉を選んだらしい。それは 鯛と比良目であった。
子供は続けて 喰べた。母親が 握って皿の上に置くのと、子供が 掴み取る手と、競争するようになった。その熱中が、母と子を何も考えず、意識しない一つの気持ちの 痺れた世界に 牽き入れた。五つ六つの 鮨が 握られて、 掴み取られて、 喰べられる――その運びに面白く調子がついて来た。素人の母親の 握る鮨は、いちいち大きさが 違っていて、形も不細工だった。 鮨は、皿の上に、ころりと 倒れて、 載せた具を 傍らへ落とすものもあった。子供は、そういうものへ 却って愛感を覚え、自分で形を調えて 喰べると余計おいしい気がした。子供は、ふと、 日頃、内しょで呼んでいるも一人の 幻想のなかの母といま目の前に 鮨を 握っている母とが眼の感覚だけか頭の中でか、 一致しかけ一重の姿に 紛れている気がした。
( 岡本かの子「 鮨」)
|