かつて私は、 読解検定長文 中3 夏 1番
かつて私は、ある作曲家に、作曲家が自分の名を 冠することのできる曲は、時代がくだるにつれて可能性がかぎられてゆき、やがて種切れになるのではないかと、質問したことがある。作曲家の答えは、まだまだ無限といってよい音やリズムの、組みあわせの可能性がある、ということであった。
まもなく私は、音楽より絵の方が、種切れになりつつあるのではないかと思うようになった。特に、現代にさかんな 公募展という発表形式は、画家の自己主張の工夫と、みじめなあせりとの 悪循環をあおっているように、私は思えてならなかった。「制作」と「売り絵」を 描き分けている人では、売り絵の方に、その人のもっている良いものが、かえって素直に出ていると思われることがある。
数年前パリで、ジョルジオ・モランディの遺作展をみて深い 感銘をうけてから、私はこうした種切れ論など、たいそう浅はかな見方にすぎないことを感じるようになった。このつつましい現代イタリアの絵かきは、それまでの何万何十万人の画家が 描いてきたものに 彼の独創をつけ加えようなどとは、決して考えなかったにちがいない。 彼はただ 透明な目と心の指示するままに、ものの色とか形とかから、不純なものを取り除いていったのであろう。その精進が、あれほど単純で、ありふれてさえみえる静物画や風景画に、あれほど大きくて深い力を 与えているのであろう。こうした精進によって、私たちの前にとりだされた色と形に向かって、絵画種切れ論など頭を垂れるほかはない。ジャン・フォートリエの作品のような、感性が、そのまま色の 濃淡、時として絵の具のわずかなもりあがりになって流れ出ていると思われる絵にすら、私は「創造」よりは「発見」への努力の、 謙虚な 崇高さを感じずにはいられない。
同じことは、学問についてもいえるかもしれない。真に深い 洞察は、先人の業績におのれの独創をつけ加えてやろうとする 肩をいからした精神からは決して生まれないようだ。それなら、宇宙の構成要素と、それらをつなぐ原理は、古来一定不変で、ただその組みあわせの変化の多様さや、動きの複雑さが、歴史の進行に新しい創造があるかのような 錯覚を、人間に 与えてきたといえるであろうか。そのことは、これから先も、おそらく人間に決してわかることがないだろう。∵
一番大きいものと、一番小さいものは何かという問いすら、永遠に答えられないことを自分でも承知していて、あいまいに、ある程度の時間だけ生きている人間にとって、 彼が宇宙のなかで明らかにしえた 既知の部分など、未知の部分にくらべて 微々たるものでしかない。人間にとって、未知の部分は永遠に残るどころか、人間が 既知の領域を骨折って拡大すればするだけ、それに外接する未知としてじかに感得できる領域も、ますます拡がってゆくことはたしかなのだから。
人間の営みを 扱う人文・社会科学と自然現象 一般を 扱う自然科学という、 比較的あとの時代になって人間が問題とするようになった区別も断絶した対立ではなく連続した差異にすぎないことは、サバンナの中で考えていると全く自明のことのように思われてくる。どれほど精密な電子 顕微鏡をのぞくのも、人間の目であり、あらゆる計算を可能にする数の体系を、ひとつの約束事として考察したのも人間である一方で、言語を頂点とする意思の伝達や、後天的に得られた知識や技能の同類への伝達は、決してホモ・サピエンスだけのものではない。
人間は、自分たちだけが自然のなかにたまたま見つけたものは、したり顔に「発明」と呼び、他の動物のすることは、どんな 精巧でも、あれは本能だという。自然の一部分である人間の自然のなかでの優位の主張は、人間の自然認識がある程度すすんだ段階で、人間が示したいくらか子供らしい 拒絶反応であったように、私には思われる。人間が自然と連続した関係においてとらえられることが、ほかならぬ人間が考察し精密化した手段によって明らかになるにつれて、逆に人間は主体性とか価値ということに、ますます 執着せざるをえなくなったのであろう。
自由への道は、人間が自然に対して自分勝手に 振るまうのではなく、自然と人間の関わりあいについての認識を拡げ、明白にする努力のうちに、少しずつ明らかになってゆくものなのかもしれない。
(川田順造『 曠野から』)
ある作家の全集を 読解検定長文 中3 夏 2番
ある作家の全集を読むのはひじょうにいいことだ。研究でもしようというのでなければ、そんなことは全くむだごとだと思われがちだが、決してそうではない。読書の楽しみの源泉にはいつも「文は人なり」ということばがあるのだがこの言葉の深い意味を 了解するのには、全集を読むのがいちばんてっとり早い。しかも確実な方法なのである。一流の作家ならだれでもよい。好きな作家でよい。その人の全集を、日記や書簡の類に至るまで、 隅から 隅まで読んでみるのだ。
そうすると、一流といわれる人物は、どんなに色々なことを考えていたかがわかる。 彼の代表作などと呼ばれているものが、 彼の考えていたどんなにたくさんの思想を 犠牲にした結果、生まれたものであるかが納得できる。単純に考えていたその作家の姿などは、この人にこんなことばがあったのか、こんな思想があったのかという 驚きでめちゃめちゃになってしまうであろう。その作家の性格とか、個性とかいうものは、もはや表面のところに判然と見えるというようなものではなく、いよいよ 奥の方の深い小暗いところに、手探りで 捜さねばならぬもののように思われてくるだろう。 僕は、 理屈を述べるのではなく、経験を話すのだが、そうして手探りをしているうちに、作者にめぐり会うのであって、だれかの 紹介などによって相手を知るのではない。こうして、小暗いところで、顔は定かにわからぬが、手はしっかりと 握ったというぐあいなわかり方をしてしまうと、その作家の 傑作とか失敗作とかいうような区別も、別段たいした意味をもたなくなる、というより、ほんの片言 隻句にも、その作家の人間全部が感じられるというようになる。これが、「文は人なり」ということばの真意だ。それは、文は目の前にあり、人は 奥の方にいるという意味だ。書物が書物には見えず、それを書いた人間に見えてくるのは、相当な時間と努力とを必要とする。人間から出てきて文学となったものを、再びもとの人間に返すこと、読書の技術というものも、そこ以外にはない。もともと、出てくる時に、明らかな筋道を 踏んできたわけではないのだから、もとに返す正確な方法があるわけではない。
要するに読者は 暗中模索する。創った人を求めようとして、創った人の真似をするのだ。なるほど、作者という人間を知ろうとし∵て、その作家に関する伝記その他の研究を読んだり、その時代の歴史を調べたり、というような色々な方法があるが、それは、 碁・ 将棋でいえば、定石のようなものだ。定石というものは、勝負の正確を期するために案出されたものには 相違ないが、実際には勝負の不正確さ 曖昧さを、いよいよ 鋭い魅力あるものにするだけだ。人間は厳正な知力を 傾けて、 曖昧さのうちに遊ぶようにできている。
(小林 秀雄『読書について』)
子供たちは、どこでも、 読解検定長文 中3 夏 3番
子供たちは、どこでも、 英雄物語を 与えられる。 英雄たちを、いわば自らを映す鏡として子供たちは育ってゆく。 誘惑に負けそうになったとき、意気がくじけたとき、子供たちは 英雄の事績を思い出し、歯を食いしばって 頑張るのだ。少なくとも、発展 途上国の友人たちの話を聞いていると、国家的 英雄こそが希望の星であり、それに向かって人々が日々の努力を重ねている、という社会的事実がひしひしとよくわかる。
そうしたことを考えながら、日本の現実をながめてみると、私は一つの重大なことに気がつく。それは、現代の日本には、生き方のモデルになるような 英雄があんまり見当たらない、ということだ。いや、そもそも、どう生きるか、についての教育があんまり行われていない、ということだ。
まず教科書の中に、 英雄物語が少なくなった。 皆無とは言わない。いくつもの感動的な物語はある。しかし、たとえば、一時代昔にわれわれの世代が学んだような愛国的 英雄は、もはや今日の日本の教科書には見当たらない。 偉大な政治家や科学者の伝記がいくつかあるけれど、それらの過半数は外国人である。日本の国家とかかわりあう 英雄は、今日の子供たちの文化の中から姿を消してしまったようなのである。
課外の読みものでも、 英雄の話はあんまり好まれていないようだ。児童図書の売り場には、たしかにキューリー夫人、リンカーンなど内外さまざまな 偉人の伝記がならんでいるけれども、必ずしもそれは人気のある書物ではない。子供たちは、マンガや 探偵小説の方に手を 伸ばす。伝記を買ってやっても、あんまり読む気にはなれないらしい。
これは、日本の現代文学史を考えるにあたって、きわめて重大なことであるように私には思える。少なくとも、私が子供のころには、たくさんの伝記があり、それらの伝記を私たちは、次から次へと読んだ覚えがある。もちろん、伝記というのは 一般的に言って、子供にとって小説ほど面白くもないし、またマンガほどわかりやすいものでもない。しかし、私たちの時代には、たとえば少年講談といったような、面白い文学形式があった。ややもすれば平板になり∵がちな伝記を、子供向きの講談につくり 換え、それを活字にした少年講談は、私たちの同世代人に、大げさに言えば、血 湧き肉 踊る経験を 与えてくれたのである。豊臣 秀吉、西郷 隆盛、 楠木正成……いろんな歴史上の人物の生き方は、一連の少年講談によって 与えられた。レオナルド・ ダ・ビンチだのも、私はこうして本で学んだ。もちろん、いくつかの人物の選び方や、 描き方は時代の産物であって、したがって、今日の基準から見ると、私が子供のころに読んだ伝記は不適切であったり、あるいは 間違っていたりしただろう。しかし、これまで歴史上に生きた人々の人生を学ぶことによって、自分の人生を考える、という行動の仕方が、昔の子供文化にはあった。それが今は、かなりの程度まで失われてしまっている。
そのことが悪いことだ、というのではない。時代が変わったのである。新しい時代の子供たちは、旧時代の人間とは 違った価値の中で、新しい生き方を発見してゆくのであろう。それは、それでよい。だが 依然として、私は少なからず気がかりなのである。お手本になるような人生のモデルが貧困な時代に、はたして、子供たちはどんなふうにして人生の意味と方向を学んでゆくことができるのだろうか。
そのうえ、よしんば教科書的に、こう生きよう、という生き方のモデルが 与えられたとしても、子供文化をとりまくマスコミは、あんまり 崇高でない 英雄たちを次々につくり、それをばらまき続けている。子供マンガの主人公は、不良グループのリーダーであったり、あるいは暴力的な 超人であったりする。それらの主人公の生き方をモデルにして、子供たちが悪い方向に引きずられる、などと 即断することは 間違いだけれども、現代の若い人たちにとって、生きてゆく方向性は相対的に弱くなっている。少なくとも混乱している。若い人たちが、しばしば「生きがい」の 喪失をうんぬんするのも、私の見るところでは、このへんのところと深く関係しているようだ。生きたいように生きる、という思い上がりで、他人の人生から学ぶことを 怠った世代は、結局のところ、人生の意味をつかむ手がかりを失ってしまったのである。
( 加藤秀俊『独学のすすめ』)
近ごろは、ロンドンにいる、 読解検定長文 中3 夏 4番
近ごろは、ロンドンにいる、あるいはイギリスにいる日本人はかえって英語を使わなくなったのではないか。日本から同日に配達される日本経済新聞と朝日新聞を読み、衛星放送で日本のテレビを見る。そうすれば英語など使わなくていいのである。そういう考え方の人がふえているのではないだろうか。
こういう生活をして、本人たちはたいへん気楽なつもりでいるが、イギリスの側からいわせると、こういう日本人はイギリスに来ていったい何をしているんだろう、となる。お 金儲け以外なにもしていないのではないか。イギリス人をわかろうともしないし、イギリス社会について知ろうともしないじゃないかと。
こうして、イギリス人の胸の中にひそんでいる時間はしだいにふくらんでくることは 間違いない。 彼らはこんなふうに思うのだ。――日本人はイギリスに来て、したい放題のことをしている。お金は使ってくれるし、 企業も進出してくれるかもしれないが、実際にやっていることはマナーもないし、イギリス人に敬意を 払おうともしない。自分たちだけで好きなことをやって、ここがまるで自分たちの治外法権の場所みたいな顔をしている。いま若い日本人がますますそういう 傾向になっていくとしたら、将来はかなり心配である。日英関係にかならず 悪影響を 及ぼすのではないか――。
いうまでもないことだが、イギリスにいる日本人のすべて、日本のビジネスマンのすべてがそうだということではない。特に 企業人からも尊敬され、公の場所で意見もいうし、イギリス政府にたいしてアドバイスもする。
こうした日本の 企業人とイギリス 企業人との大きな 違いは、日本の 企業のトップは、ビジネスができるだけでなく、教養があるという点である。 彼らは文学や芸術のことも話せるし、実際、そういうことに興味をもっている。イギリスのビジネスマンは、サッチャーさんの高等教育拡大方針にもかかわらず、お 金儲けはできるし、マネジメントの才もあるが、じつは教養や文化にかかわりのない人が多いのである。お金がたまったらそれを持って外国へ出ようとか、ホリデーをたっぷりとろうとかいうことばかり考えていて、自分の教養を深めるということはしないし、本を読むこともしない。
そういうビジネスマンが多いイギリスで、日本のトップクラスのビジネスマンは、詩の本を読んでいるとか芸術のこともわかるとか、とてもすばらしいと思われている。もちろんイギリスにもそう∵いう人もいるが、マナーもすばらしいし、英語もきちんと話せる、いわば世界レベルの日本のビジネスマンがふえていることもまた確かなのである。
そうしたトップクラスのビジネスマンと、日本からやってきたとたんに、日本にはお金があって、イギリスから習うものは何もないと、まるで植民地にでも来たように 威張ってみせる若い人たちとの差がひじょうに拡大してきているのではないか。
長いあいだイギリスにいて、日本 企業の地位を高めるのに努力してきた日本のトップクラスのビジネスマンの苦労は、日本が経済的に世界で大きな地位を 占めるようになってから生まれた若い人たちの軽はずみな言動やバカげた 行為によって 覆されてしまうのではないか――そんなことが 危惧されるようになってきたのが当節のイギリスなのである。
(マークス 寿子『大人の国イギリスと子どもの国日本』)
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