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自然に謙虚に
アジサイ の広場
馬のしっぽ はり 中3
 人の管理かでの植栽が可能なものが「野菜」である。しかし、自然の大きな
力「天気」に人間は翻弄されてきた。ひとは自然を自分たちのコントロール下に
置いたように見えて、実際には単に大きな自然界の「おあまり」をいただくく
らいのことしかできないのだ。畑仕事は、いくら人間が焦っても、できないも
のはできない。われわれの望むもののうち、自然の合意を得られた分だけを、
ゆるゆるすすめることしかできないのである。私は、思い上がるのではなく自
然に謙虚な生き方をしたい。
 
 人間は、山を開き山のふもとに町を作る。そして、山ギリギリの所まで家が
建つ。毎年ドラマが終わり、テレビ番組に区切りが付いた頃、各局のテレビ局
は特別番組を作り放映する。その中で、毎回必ずあると思われるものは、「警
察24時事件ファイル」とか、「実在した信じられない事件」などの番組である
。たまに見ると、時々はまって結局最後まで見てしまうことがある。一年くら
い前に見たその手の番組で、大雨が降って、山の裾の部分が崩れ落ち、土砂で
一瞬のうちに家がつぶされてしまうという事件があった。消防隊や、まわりの
人たちの救助があってなかにいた人たちは無事救出された。
 
 インドネシア(?)の森林地帯で去年かおととし、山火事があった。あれは焼
畑農業を行うために、森林を焼いていたのだが、途中で火が消えなくなり、ど
んどん燃え広がってしまった。そのころ小学校からの友達がマレーシアに住ん
でいて、風のせいで煙を含んだ空気がマレーシアまで来てしまい、さまざまな
注意があり毎日が大変だったそうだ。インドネシアで起こった事故は隣の全く
関係のないマレーシアにまで影響を与えた。
 
 確かに、人間が生きていくためには山を切り開き、さまざまなものを作り出
していかなければならない。しかし、前に述べた二つの例からも分かるように
、人間が作り出したものによって自分たちが被害を受けてしまう。二酸化炭素
による影響も、排気ガスによるオゾン層破壊も同様である。私たち人間は、今
になってやっと自分たちは自然を征服できる支配者でないことに気づき始めた
。そして、リサイクルや省エネなどさまざまなことに力を入れている。これか
らも一人一人がこのように謙虚に自然に接していくことが大切だと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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