アイディンティティ |
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りさ | / | あいす | 中3 |
現代はアイディンティティ不定の時代といわれている。共同体に属すること |
の内的な意味を希薄化させたことと、家族という単位が一般世間から輪郭をも |
って成立することにより、子供が社会から隔離されて家庭内に育つようになっ |
てしまったことが、理由としてあげられる。アイディンティティ不定の時代に |
、アイディンティティを持って生きていくためにはどうすればいいのだろうか |
。 |
まず、親に頼ろうとする自分の弱い心をおしとどめ、自分自身強く生きよう |
と決心することが大切であろう。最近の親は子にあまいということもあるが、 |
子供の自立性が失われてきている。アメリカなどは、子供の自立性を重視する |
風潮をもっている。高校生にもなると、ほとんどの人がアルバイトをしお小遣 |
いをためている。アルバイトの目的は、日本の学生のたんなる小遣い稼ぎでは |
なく、だいたいの人々が車を買うためという、大きな目的をしっかり持ってい |
る。また、子供達の自立性に答え、社会も16歳から免許をとれるような環境に |
してくれている。努力する者には、きちんと要望にこたえてあげるということ |
も、子供達の自立性を養うためには、大切なことなのだ。 |
次に、教育のありかたを変える必要がある。現代の日本の教育は、高校生で |
文系、理系にはわかれるものの、ほとんどの人々が同じ内容の教育をうけてい |
る。このような教育課程では、同じような考えを持つ人がふえるだけで、自分 |
らしさというものをみつけにくい。これが、アイディンティティ不定の時代に |
つながっていったのだ。自分の興味を持つ分野を集中的に学べば、ある分野は |
ほとんど無知かもしれないが、ある分野に対してはだれにも負けないくらいの |
知識を持つことになる。このような教育を受けていけば、必ず一人一人考え方 |
の異なる、個性豊かな、そして自分を主張できる人々が増えるのだ。またアメ |
リカと比べることになってしまうが、アメリカではやはり個人の自由というも |
のを尊重し、生徒が自由に授業を選べる制度を持っている。このことにより、 |
一人一人が他人任せではいられなくなり、自立性、責任性をなにがなんでも身 |
につけさせられる。個人個人違う時間に昼ご飯を食べ、別々のクラスへとちら |
ばっていく・・。「次の授業なんだったけ?えー、移動?めんどくさーい」な |
んて言っている私達は、頭が下がるばかりだ。 |
確かに、皆が平等に同じ教育を受け、過不足なく広範囲にわたって知識を深 |
めることは大切だ。しかし、中途半端に知識を深めても、中途半端で終わって |
しまう。広範囲を全力で学びつづけるということは、まず普通の人間には無利 |
なことだろう。ならば、興味のある分野だけに絞って、思いっきり勉学に励む |
方が自分にとってプラスとなるということは言うまでもない。「二兎追うもの |
は一途も得ず」ということわざのように |
よくばっても、中途半端に終わってしまっては意味がない。最後まで全力を |
尽くすことに意味があるのだ。小さなことでもいい。自分の興味があることに |
、他人を頼らずに深く追求していってみてはどうだろうか。きっと、しっかり |
とした根を持つアイディンティティが、自分の体の中で成長することだろう。 |