独自性はどうするか |
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拓馬 | / | ねき | 中2 |
ぱっと見ただけで、「お前、一流ホテルやろーー!!」と言わんばかりのロビ |
ーで、マナーのかけらも確認できないような一群の人々や、そのホテルにとけ |
込み、行動から外見に至るまでまさしく都会人の人は、皆ホテルサイドの「雇 |
われ人」である。前者をボーイが注意する事で、周囲の客に、自然に学ばせる |
効果を促しているのであり、後者は、ホテルのロビーを利用する上での見本と |
なる。こうして、他の客をホテルにあった人間に教育し、その上でふさわしい |
者をまた「雇う」のである。 |
こうして、人間は多くを学習していき、さまざまなところでさまざまな態度 |
をとる。そう、確かにその場に合った行動をとるのは有効な手段である。自分 |
にとって、その場所はどのような所か、自分はどのような立場かを把握しない |
まま、自分の思う事や何やらをそのまま言葉として発しても、不愉快に思われ |
たり、言葉をまじめに聞いてもらえなかったりと、ことはうまく運ばない。上 |
の例を見ても分かるように、「マナー」というものは、どこでも必ず存在して |
いる。その「マナー」を守るうえの手段を考えると、例えば言葉の使い方や声 |
量を変えたり、時には主張しなかったりすることが得策な場合もある。つまり |
、その場に応じた方法はそれぞれ違い、それらを使い分ける事は、大切な事で |
あるということができる。 |
しかし、「マナー」は「マナー」であるが故、ここでは絶対にこう、そこで |
は間違いなくそう、というように、型にはまっているとかはまりすぎていると |
かいうことが多くある。これは、望ましいこととは思えない。そんなことでは |
、皆がみんな同じことをしているだけでは、確実な進歩と言うか、新しくなに |
かを造るということができない。なんかこのごろ周りで囁かれている、「カリ |
スマ」だかなんだかとかいうのも、型にはまらず、自分らしさ、すなわち独自 |
性を出すことによって、新しく創造しよう、という考えからなのだと思う。型 |
にはまらず、独自性をもって取り組むことは、昔からの習慣や掟に準じて行動 |
することよりよっぽど難しいし、昔からのものよりよいものを創造しなければ |
ならないのだから、決して容易なことであり、軽い気持ちでできるものではな |
い。誰に反対されようとも自分の信念をまげないほどの強靭な精神力と、いろ |
んな意味での力が必要になる。そして何より、「今よりも良いものを」という |
気持ちが不可欠である。 |
人の世で生きていく以上、自分だけがよければOKなんてことは、まずない |
。そのためには、マナーは不可欠であるし、破った場合の罰則というものも必 |
然的に出てくる。だが、新しいものの創造がなければ、この世の中はよくなる |
ことはない。大事な事は、それらを両立させることである。であるがしかし、 |
それは今のままでは当分無理であると思う。何より、これまでの人類の進化の |
歴史を見てみると、文化を持つようになってからは、ほとんど競争で進化して |
きている。古くからの〇〇教というそれぞれの戒め(マナー)を破り、ある時は |
、人が人を殺め、人の上に人がたつということもしてきた。いや、今もそうで |
ある。かといって、それによって、現在までの進化があったことも否めない事 |
実である。そして、形だけではあるが、数々の条約や、憲法を通じて、再びマ |
ナーを作った。そして、また次の進化を我々はすることになるだろう。そのと |
き、まだ軍事的解決しかできないとしたら、それはあまりにも情けない。これ |
からは、「競争」ではなく、「共存」して生きていくことが必要になっていく |
。そうなるのは十年後か百年後か、はたまた三日後に控えているのか、我々に |
は到底分からない。しかし、一日でも早くその日を迎えるために、我々は努力 |
していかなければならない。ホテルで素晴らしい非の付け所のない客になるか |
、はたまた、ホテル自体のあり方を見つめ直させ、大きく変えていくような客 |
になるかは、今後我々が考えていく事である。そして、自分のしたことは正し |
いことだといいきれるように私は生きて行きたい。 |