道(by猪木) |
ウグイス | の | 村 | の広場 |
でこはげ | / | かな | 小6 |
私の家は自動車がやっと通れるぐらいの路地に面している。三年前まではそ |
の路地は、さまざまな人や動物の散歩道として利用されていた。都内にはめず |
らしくほそうされていず、道ばたには草が生えていた。となり近所には古い家 |
が多くて、敷地からはみ出した樹木の茂みが路上に日かげをつくった。私自身 |
もコンクリートにはあきあきしていて、道ばたに草が生えている風景を心ひそ |
かに楽しんでいた。 数年たって路地全体に異変が起きた。下水道工事が始ま |
って地面がほりかえされ、車の震動で下水管がこわれぬようにしっかりとほそ |
うされてしまったのだ。ネコジャラシにスギナ、スミレもタ |
チイヌノフグリもそれ以来路地から姿を消してしまった。道は車向きの道路に |
なり、地球のかけらではなくなってしまった。 町中の雑草に対する人間の態 |
度は時と場所によってさまざまである。ハイキングに行けば「緑がいっぱいで |
気持ちいいわねえ」と喜ぶ人も、自分の庭に出てきた雑草は血眼で引き抜いて |
例えば、ハムスターをものすごく可愛がっている人がいるとしよう。しかし |
その人にネズミを見せたら、 |
「うぎゃー!」 |
と叫んでドラえもんのように走り去っていった。こういうことは実際にある |
と思う。もしくは自分が飼ってる猫はいいけど野良猫は駄目!と言う人もいる |
かもしれない。このように「この自然はいいけどこの自然は駄目」といって自 |
分自身に都合のいい自然を作り出す事は、一種のわがままだと思う。それはま |
あアレルギーなどもあるだろうがそれ以外の人はほとんど気の持ちようと言う |
事である。 |
私もコンクリートは嫌いである。なぜ嫌いかというと、まず、発見が少ない |
と言う事である。何かおもしろいものが落ちてるのは本当に数年に一度である |
。(私の場合3年前にボーリングの玉を見つけたくらいだ)草などは生えるも |
のが決まってしまっているし、種類も少ない。お金が落ちてる事など夢のまた |
夢である。第2に遊び道具が少ないと言う事である。昔は石ころをよく蹴って歩 |
いたそうだが、今の道にはそうした遊び道具が少ないのである。たとえ石が落 |
ちてたとしても大抵は、2~3cmの小さな石であり、けると言うにはかなり無理 |
がある。第3に色気がないという事である。舗装されてしまった道は、どこも |
かしこも真っ黒黒でむなしい。舗装されていずでこぼこの道のばあいは、歩き |
にくいが、紫、白、青などいろとりどりの花が咲いていておもしろい。しかし |
私が最も道を好きになるときは自然の匂いがするときである。その匂いをかぐ |
と何か悩み事があってもすっきりしてしまう。こういう事からも自然の道は大 |
切だと私は思う。 |
人間と自然の道とはきっても切れない中にある。その自然の道を人間が一方 |
的に住みやすいように改変してしまう。時にはそういうことも必要になると思 |
う。しかし、都合のいいように改変しすぎるととんでもないしっぺがえしが私 |
達にかえってくるかもしれない。 |