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ナバホの考え
アジサイ の広場
智之 すら
 子供は、何事においても未熟であり、大人によって社会の荒波から絶えず守
られている。しかし、我々の子供観が必ずしも通用するとは限らない。何故な
ら、社会、生活が異なれば、当然様々な子供観がある。
 
 例えばナバホ・インディアンは子供を自立したものとして考える。そして部
族の行事すべてに子供達を参加させる。子供は、庇護されるべきものとも重要
な責任能力がないものともみなされない。子供の言葉は大人の意見と同様に尊
重され、、交渉事で大人が子供の代弁をすることもない。子供が歩き出すよう
になっても、親が危ないものをあらかじめ取り除くようなことはせず、自らの
失敗から学ぶことを期待する。
 
 このように、ナバホ・インディアンのように、年齢に捕らわれず、子供も一
つの自立したものとして考えるやり方には、なかなか興味がある。
 
 しかし、それはナバホ・インディアンの中だからこそ出来る事であり、今の
我々の環境とはかけ離れているからである。例えば日本では車がとても多く、
生死を伴う危険が沢山ある。ナバホ・インディアンが棲んでいる場所だからこ
そ出来ることなのであって、それを元にするならまだしも、同じ事をしようと
すれば環境が違うため出来る訳がない。
 
 私達は私達なりの子供の育て方をするのがやはり適していると思う。しかし
、今の日本の子供の育て方を考えるとナバホ・インディアンのようなしつけ方
もまたアリだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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