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限界を知れ
ウグイス の広場
信長 あえほ 小5
 発光魚であるチョウチンアンコウは、イリシウムと呼ばれるただ一本のアン
テナがあり先端には、エスカという丸いふくらみがあり、この部分が発光する
のでチョウチンアンコウという名になっている。
 
 しかし深海魚の発光が水族館で観察された例は、これが初めてではない。ず
っとさかのぼって、イタリアのナポリ水族館では、一八九九年に生きたダルマ
ザメの発光がガラス越しに観察されている。このサメは長く生存しなかったら
しいが、これがたぶん、生きた発光魚を水族館で観察した、最古の観察記録で
ある。
 
 駿河湾でとれる深海魚の種類は数多い。駿河湾は発光生物の宝庫だ。東海大
学海洋科学博物館では、駿河湾の深海魚の飼育を課題として挑戦する。やはり
難しい問題だがいつかは発光魚を含む深海魚の飼育を成功させようとしている
 
 深海魚を深海でなくて水族館で見られればある意味良いことだと思うそれに
研究も進むと思う。研究が進めば深海魚の全貌が明らかになり潜水艦の技術の
向上にもつながると思う良いことづくめである。しかし上手くいかないことの
方が多いそれにもしも問題なくうまくいっても、それは人間にとってである。
チョウチンアンコウからしてみれば勝手に友を連れ去られて連れ去った相手の
技術にされてまったくつらいものがある。自分も技術にされるかもしれないの
だ。
 
 しかし、僕はそういう事を前はしていた。僕はセミを捕まえたらその時逃が
す主義だからあまり飼うことをしない。しかしさすがにカナヘビブームのとき
は一匹捕まえて飼っていた。しかし何日かして死んでしまった。かっていると
きはこのかなへびがすみやすいかんきょうづくりにとりくんでいたがもしかし
たらむかしすんでいたところがいちばんかなはびとてすみごこちがよかったの
だろう。人間で言えば田舎の実家からでて下宿している先でろくにご飯ももら
えず死んでしまった。ということになる。かわいそうなことをしたなと自分で
も自分を責めているのであった。どうぶつは住む所によって変化をしている。
しかし人がそれ以上の場所を作ろうとしても住んでいる土地より上は越えられ
ない一定の線がある。それを無理に開こうとする人間はみじめである。人間は
じつをいうとそういう無理な自然との勝負を挑む孫悟空なのではないかと僕は
つくづく思う。結局自然に負けて言うことを聞くぐらいなら挑戦せずに対等な
関係を崩さない方が得なことなのではないかとぼくはつくづく思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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