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法と情
アジサイ の広場
ひまわり あなつ 高1
 今日では、道徳的共同体をつぶしてきた法的社会が普通の社会となり、国家
となっている。しかし共同体が完全につぶされたわけではない。豪族など大き
な共同体はすでにつぶされてしまったが、依然として最小単位共同体の家族は
残っている。そして一方、共同体意識の方は、今も人々の間にしぶとく生きつ
ずけている。法的社会が形成されて以後、共同体との関係というやっかいな問
題を人間は抱え込んできて今日に至っており、いまなおその解決法方に苦しん
でいる。
 
 ついこの間、ある幼稚園児が誘拐され近くのトイレで殺された事件があった
。犯人は夫を良く話し合い、自首したという。そんなニュースを見ながら冗談
半分で母は、「もし妻が犯罪を起こしたら警察に報告するう?」と、父に聞い
た。父はもちろんだと答えた。私ももちろんそうだと思った。相手がどうであ
れ、罪は罪だから罰を受けなければならないと私は思う。情をもって、この罪
を一緒になって隠すことは相手にとって何も良いことはないのだ。
 
 しかし、やむおえない事件もある。働くところもなく、お金がない。夫に逃
げられ、子供もいる・・。
 
 こんな最悪の状態の中で罪を犯してしまう人がいるとする。そんな時、ただ
法に従って罰することは、間違っていないのだろうか。少なくとも誰もがかわ
いそうと思うだろう。だからといって、(例えば)人を殺してしまうのも許さ
れることではない。
 
 結果としてどうなのかと言えば、法的社会も、道徳的共同体も必要なのだと
思う。法というのは人が正しく育つためにとても必要なのだ。そして、たいし
た理由なしの情は法を妨げてしまう。しかし、大切なひとの気持ちという物は
あるときは法よりも大事なときがあるのだ。私たちはそれをしっかりと区別し
て、より良い人間が育つようにしなければならないと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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