僕と皆との"Mixture" |
アジサイ | の | 道 | の広場 |
ペー吉 | / | うき | 高1 |
コンビニや公園にたむろする少年少女たち。学生服のまま煙草を吸い、濁っ |
た笑いと携帯電話の応対へ注意を割いている。マナー違反や規則違反が、『カ |
ッコイイ』と思われるようになったのはいつ頃だろうか。週刊誌では正義ある |
不良が暴力を奮い、ちょいと斜に構えたような主人公が流行にのった。しかし |
、様々な人間が共同生活をおくる上で定められた規則は、守らねばならない。 |
おかしな規則というのももちろんあるが、そう思うならばその規則を変えてい |
かなければならない。我々は所詮『違う人間』なのだから、摩擦のない生活を |
するためには、規則に従うことが必要なのである。 |
自分が規則を守るだけでなく、他人が規則を破っていたら注意する、或いは |
取り締まることも大切である。その規則を破っていた人が知り合いや血縁者だ |
ったりすると、どうにも注意しにくいことがあるだろう。しかし、それでも規 |
則違反を注意することは必要だ。いちいち例外を設けていては、規則というも |
のはなりたたないのである。例えば、私の通っている学校(そろそろ卒業だが |
)では、ウォークマンを持ってくることが禁止されている。しかし、常習犯や |
、他にも様々な規則を破っている『不良』は、注意しても無駄と思われ、ある |
程度黙認されていた。そして、それなら俺もと多くの人間が持ち込み、そして |
黙認される『常習犯』になってしまい、結局は現在生徒の大多数がウォークマ |
ンを持ち込んでしまっている。これは、例外を設けてしまったことから起こっ |
た規則の消滅である。 |
規則を破る側も、相応の理由があって破る場合もあるだろう。「悪法も法で |
ある」の精神の下、罷り通ってしまっている規則に疑問や義憤を抱く場合もあ |
るだろう。しかし、それならその規則を改善しようとするべきである。ただ規 |
則を破るのであれば、それは秩序の破壊という犯罪に過ぎない。万人の幸福へ |
の確固たる理念の下に変革しようとするのであれば、それは革命だ。私たちに |
は言論の力があるのだから、「おかしい」と思ったならそれを改善しようとす |
ることが大事である。規則は誰もが円滑に幸福に生活するためのものであるか |
ら、現状にそぐわないのであれば常に流転しなければならない。人類の歴史を |
紐解いてみても、幾つもの規則が現れては消えていった。現れたのは必要とさ |
れたからであり、消えていったのは必要とされなかったから。数百年前の市民 |
革命から規則の流転は加速し、現在は少しずつ落ち着いている感がある。しか |
し、我々はいつでも規則を変革する力と権利を持っているのである。 |
確かに、がんじがらめに規則に縛られていては、自分らしい生活ができない |
意見もあるだろう。それは分かる。しかし、多くの人間の道徳という名のエゴ |
イズムが、統制されないままに溢れ出している社会はどうだろうか。それでは |
共同生活などできはしない。我々は、人との触れ合いを円滑にするために、共 |
通の道徳観念として規則を持つことが必要だ。それは、人が物の売買を円滑に |
するために共通の価値感として金銭を生み出したのによく似ている。規則は自 |
分の思い通りのものではないだろうが、他者のことを考えた、ある程度の妥協 |
は必要なのだ。「エゴ無くしては我に在らず。愛無くしては人に在らず」。こ |
れは『Beast |
Bind』というゲームの中の台詞だ。自分として在り続けるにはエゴを持たねば |
ならず、人として他者の中で生活するならば愛…即ち、他者を思い遣り、自分 |
をある程度犠牲にせねばならない。我々が生活するためには規則が必要であり |