もう一度、教室の光景へと |
アジサイ | の | 峰 | の広場 |
くみこ | / | さく | 高2 |
もう一度、教室の光景へと |
磯野久美子 |
今日の子供は、本を読まなくなっている。「文字離れ」「活字離れ」はもは |
や決定的で、そのことは社会の中でかなりの批判を浴びている。しかし、本を |
読むことはもちろん良いことだが、必ず本を読まなければ人は成長しない、と |
いうことは決してない。本を読むだけでなくても、人が何かを学ぶのに効果の |
あることはたくさんある。では、どうすればこのように大切なことを学べるの |
だろうか。方法は二つある。 |
まずひとつめの方法は、当たり前のことだが、何かを学ぼうとする精神を持 |
つことだ。何でも、学ぼうとすれば、何か有益なことがあるものだ。例えば、 |
電車の中で、大声でしゃべったり他の人を押しのけて何が何でも座ろうとする |
おばさん達からも、わたしたちは「こんな風に人の迷惑にならずに、もっと周 |
りの人のことを考えよう」という教訓を学ぶことが出来る。もしただぼーっと |
それを眺めているだけでは、「うるさいなあ。迷惑だなあ。」で終わってしま |
うのだ。良いことは「教師」になり、悪いことは「反面教師」になりうるとい |
うことを忘れてはならない。 |
もう一つの方法は、何に対しても自分の頭を使って考えてみる、ということ |
だ。最近の子供(といっても私も含まれることになるのだが)は、”He s |
aid”と言うばかりで、”I think”が抜けているらしい。確かに、 |
溢れ出る情報の中にあっては、「だれだれが何々と言っていた」と言うだけで |
会話が成立し、生活していくことが出来る。しかし、大切なのは自分で考える |
ことであり、それをしなければ、いくら情報を得てもざるで水をすくうのと同 |
じような結果になってしまうことは言うまでもない。クリエイティブな発想は |
もちろん自分の頭から発信されるものであり、そのためには常に頭のスイッチ |
をオンにしておくことが必要なのだ。誰だったか忘れたが、昔の有名な科学者 |
が、子供の時「光はどうやって感じるのか」と、わざわざ口を開いたり、目を |
閉じてみたりして考えてみたという。その結果やっと「光は目で見るのだ」と |
言うことが分かったというのだ。「光は目で見るものであると誰かが言ってい |
た」ではなく、このように自分で考えることで、大切なことをより多く学べる |
ようになっていくのだ |
確かに、本を読むことで個人の智恵は飛躍的に成長することが出来ると言え |
るだろう。内容が精神をより質の高いものにしていくだけでなく、文章の表現 |
方法も学ぶことが出来る。しかし、子供には、もっと体全体で感じて学ぶこと |
のできることも多いのではないかと思う。むしろ、本ばかり読んでいて全く体 |
を動かさない子供の方が不健康な感じさえする。「民主主義は教科書には書か |
れていない」という有名な言葉もあるように、実践的なことからいろいろと学 |
ぶのも大切なのではないか。第一私自身も「友達の作り方」を教科書から教わ |
った覚えはない。 |