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「ケジメのある教育を」
アジサイ の広場
裕子 にこ
 「ねむたい、つまらない」
私は以前家庭教師のアルバイトをしていたが、そのなかで生徒によくこんなグ
チをこぼされたりした。まじめに話しを聞いてくれなかったり、実際眠られる
こともあった。私自身“やさしい家庭教師のお姉さん”という威厳のない存在
であったせいかもしれない。教えることに甘さは禁物だとつくづく思った。実
際の学校という教育の大きな現場でも似たような状況がおきているらしい。最
近、小中学校では授業をまじめに聞かない生徒が増えているという。授業中に
歩き回ったり、オシャベリをしたり、態度の悪い生徒をきつく叱ると逆にその
子の親から苦情がくるという話も聞いたことがある。教える側の先生にとって
なんともやりにくいことだと思う。しかしこれが教育の場における先生の権威
失墜の話にとどまるのならまだよい。近頃の子供の教育についてみると家庭で
のしつけを含めた教育全体のケジメのあり方が問題になっているように思われ
 
 昔、体罰という教育が平然と行われていた頃は学校では先生に家庭では父親
に一番の敬意を払い、その導く方向に教えを受けた。私の祖父などは挨拶がし
っかりできないというだけで殴られたとよく話している。もちろん体罰は肯定
されるべきものではない。しかし、心の体罰を与えることの出来る教育の場は
必要だと思う。教える側の人間がしっかりと規範となれる場だ。そのためには
、私たち大人が価値判断を人に委ねることなく、教える側の人間としての自信
を持つことが大切なのだと思う。
 
 たしかに、厳しいだけの教育はこどもに辛さを強いるだけで何も生み出さな
い。しかしそこにケジメと信頼があれば子供に多くのものを与えられるはずだ
。私も自分が親となり本当の教える立場になった時、威厳と責任をもって子供
に接することが出来るのだろうか。教育は真剣勝負だと思う。“家庭教師のお
姉さん”のようなやさしさだけではだめなのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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