脳移植したら嫌いなピーマン食えます! |
アジサイ | の | 道 | の広場 |
がっちゃん | / | てな | 高1 |
脳死が「死」と見とめられてから、脳死の人が死んだ事になった。心臓はド |
キドキしていても、脳死だと体を切り刻まれて目玉や胃や肺がとられてしまう |
。しかし、それは科学が進歩した結果だ。昔は心臓が悪い人はある日心臓が止 |
まってしまって終わりだったが、最近では心臓移植も進んできている。そして |
、脳死を死と断定して移植のドナーになるようになってからは、脳意外の生き |
ている部分を移植できるようになった。脳が死んでいても肺や心臓が正常な人 |
はそこを移植できるようになった。死についてはますます科学の発展をとり入 |
れるべきだ。 |
そのためにはドナーの家族の理解が必要である。たとえ、本人が心臓を提供 |
してもいいと言っていても、その家族は自分の身内のからだの一部が切り刻ま |
れるのだからいい気はしない。しかし、本当に移植は嫌な事なのだろうか。 |
いつもテレビ番組の話題で申し訳ないのだが、病気で移植を必要とした女性 |
に、バイク事故で死んでしまった青年が体の一部を提供したというのがあった |
。それで女性は無事回復。しかし、少しもお酒の飲めなかった彼女がインタビ |
ューに来たレポーターに「退院してから一番食べたい物は?」と、聞かれ「そ |
うね、冷たく冷えたビールがのみたいわ」と、言ったそうだ。あまりの変わり |
ように女性本人が不思議がった。数日後には若い青年がバイクを乗りまわして |
いる夢まで見て、他にもその青年が自分の家に入っていく夢も見た。それから |
その女性は夢で見た場所を探し出し、見事にドナーの青年の家族をみつけてし |
まった。普通、移植された人にドナーの情報は少しも与えられない。ちなみに |
、青年はバイクの散歩から帰ってくるといつも冷たいビールを飲んでいたそう |
だ。 |
この話は本当にあった話だそうだが、信じるか信じないかは人それぞれだ。 |
でも、100歩譲って本当にあった話であるとすれば、私は、ドナーは移植され |
た人の体内で生き続けていると思う。一度死んでしまったのにもう一回生きら |
れるなんて、こんなラッキーな事はないではないか。 |
他の方法に、医者という存在が常に信頼できる人間であることが必要である |
。技術的に劣った人間を雇うのでは、貴重なドナーの体が水の泡になってしま |
う。他人に自分の体を渡すなんていう心の広い人間はまだ多くはない。一生懸 |
命生きようとしている命を無駄にしてしまう医者だったのでは意味がない。科 |
学が普及するためにも、人間の命が尊いものであるためにも、医者や研究者た |
ちがまともな人間であることは一番大事なことだ。 |
確かに、自分の親や子供が移植で体をメスで開かれて心臓だけ取り出される |
のを想像するとかなり抵抗はある。しかし、移植を待ちわびて、結局自分に回 |
ってこなくて死んでしまった人も多い。「脱皮しない蛇は滅びる」という名言 |
の通り、考える向きをほんの少し変えただけで新しい何かが生まれるかもしれ |
ない。「患者にとって一番いいこと」。デタラメではなく、真のいいことを考 |
えるのなら、科学に心を開いてみるのもいいのではないか。 |