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人間の本来の能力
イチゴ の広場
惇平 あはえ 中3
 化学文明の発達は、それまでの人間が必ず経験しなければならなかった数々
の手間を片っ端から省いていった。しかし私は、「必要なる手間」が必ずある
と思っている。手間とはそれを経験した人の個性を伸ばし、人間らしさを増幅
させるものなのである。便利さや快適さを求める人間の要求が文明を発達させ
てきたのは間違いないが、そのために有形無形の人間本来の財産をたくさん犠
牲にしてきた事に、私たちは気づくべきだ。私たちが手間のかからない生き方
をしている限り、生きる事の喜びを感じる事は出来ない。生きる喜びとは、感
性をとぎすまし、自然の大きさと人間の魅力を日々発見することにあると思う
 
 最近は手間をかけることが確かに少なくなってきていると思える。だが、手
間をかけることは必要だと思う。現に自分は日々勉強と言う面で手間をかけて
いる。この作文を書いている時だってそうだ。今はあまり必要ない用に思えて
しまう事柄でも、一人前の大人になればそれは実を結び、自分の生きる喜びを
得るのに必要なものとなる。だから手間をかけないで生きることは、絶対に「
生きる喜び」を得ることは出来ないのだ。
 
 それは日本の子供の体力低下からも言えると思う。最近自分は「清潔すぎる
環境の中で育った子供は病弱だ」とテレビで聞いた。菌のない中で生活している
と、弱い菌でも簡単に受け入れてしまうらしい。
 
 確かに化学文明の発達は良いことで、自分の生活が快適になるのも悪いとは
思えない。しかし『大切なのは健康らしい外見ではなく、健康自身である』と
いうように、文明の発達という向上心の多い外見に気をとられすぎて、人間の
本能的な環境の適応能力を忘れてしまうのは残念なことだと思う。だからこれ
からは自然と触れ合いやすい環境作りをしていくことが大切だと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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