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先進国の後を追いかける
アジサイ の広場
くみこ さく 高2
        先進国の後を追いかける
 
                     磯野久美子
 
 
 日本の戦後の教育制度というのは先進国に追いつくことを目的として発展し
てきた。しかし自国がその立場になりかわった今、その教育制度は見直される
べきだという論議がされている。確かに、知識を一方的に詰め込むだけの教育
は大きく人間という一個の存在を育てるという観点から考えてもそれだけで完
璧な教育と言うことは出来まい。しかし、それではどのような教育がなされる
べきなのであろうか。
 
 まず、今日本で見直されているような「独創性」を育てる教育は必須だと思
う。作文やレポートだけでなく、自分の興味を持ったものを自分で表現できる
能力を身につける為の指導というのは学生である私にとっても重視して欲しい
分野のものである。大体教育課程を考える大人達はこの種の授業が楽しいもの
であるという感覚を忘れてしまったのだろうか?それとも、戦後間もない時期
に育った彼らにはそのような教育が全くなされなかったのだろうか?授業風景
を思い浮かべてみればこれはすぐ分かることなのだ。例えば、社会の授業でも
、単に歴史の流れを先生がたらたらと話すときは生徒はただ黙って聞いている
だけである。しかし、「あなたは平氏と源氏のどちらが好きですか?それぞれ
のグループに分かれて弁護をしてみよう。」と言うだけで子供達の表情は明ら
かに変わる。どの教科でも同じ事である。子供の頃というのはほとんどの子供
が「自分を表現したい、もっと知って欲しい」という心を持っているものであ
る。そのような興味を引き出すこと、伸ばすことが教育の務めである。
 
 しかし一方私は近年批判されてきている日本の教育が悪いという意見には全
く賛成の立場をとることはできない。今日までの教育があったからこそ、日本
は発展してきたのであり、やはり最低限の基礎知識というのは必要であるとい
うのは言うまでもない。その証拠に、例えばアメリカでは個性を育てるための
教育を重視するあまり、学力低下が深刻化し、日本のような教育を重視するよ
うになってきているという。2002年に教育課程が改正されるということで
、かなりたくさんの知識が教えられるべき項目からはずされるということだが
、残念なことではある。しかし、創造性を育てる授業や、知識ばかりを追求し
ない授業を目指すのに仕方がないことであれば、それを受けることになる子供
達は、単に授業が簡単になるということに喜ぶのではなく、その分新しい分野
に長けるよう努力することに重きを置いて欲しい。
 
 教育というものは大変難しいものであり、どれが一番良いということを決め
ることは出来ない。しかし、教育において一番重要なことは生徒の姿勢かも知
れない。どんないよい授業を先生がしても生徒にそれを吸収する気がなかった
ならば、それは何の意味も持たない。「馬の耳に念仏」なように、生徒は常に
自分の周りのものを吸収することの出来る目と耳を育てておかなければならな
い。しかし、先生達も自分たちの教えることは「念仏」であるべきだという事
も忘れてはならない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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