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理由が読書なら、そこ、どくっしょ?
イチゴ の広場
拓馬 ねき 中3
 
 
 
 読書でもなんでもかんでも楽しみを知らないからには何にもならない。読書
なら、一度読む楽しさを知れば、あとは放っておいても自分にぴったりの本を
求めていくものだ。スポーツが好きでも映画が好きでも音楽が好きでも読書を
楽しむのは、スポーツや映画や音楽の楽しみが一段と豊かになり深くなるもの
だからだ。だから、人間は読書の楽しみを知るべきである。
 
 読書の楽しみを知るには、まず「これをやるためにしょうがなく本を読む」
とか、「読書は大切だから無理にでも読む」という考えを捨てなければならな
い。そもそも「楽しむ」のだから、それが辛いことのはずがない(もしそうだ
としたら、なんて嫌な世界だろう)。他人からちょっと背中を押されることは
あっても、最後に本を開いて、その中から楽しみを見つけるのは、自分である
 
 それに、今の勉強法は、国語でもなんでも、「時間がないからさっさとそれ
読んで、さっさと答えろ」ということが多い。読書が、読書のための読書では
なく、他の目的のための読書になっている。しかし周りは、もっと本人に会っ
た本を見つけさせる手伝いに力を入れるべきではないか。事実、私は学校での
感想文のための課題図書より、自分で選んだ本の方が、すごくすんなり楽しん
で読めた。
 
 読書を楽しくないものと割り切っている人は、多分、ただ文字を追っている
だけで、内容など考えもしないだろう。確かに本は文字ばかりで、厚い本にい
たっては、好きな人でも忍耐力と集中力がいる。しかしそれでも、楽しみを見
つければ、そんな本も軽く読めるだろう。忍耐も集中も、苦にならないのだか
ら。「読書は人間を豊かにし、討議は人間を役立つようにし、文章を書くこと
は人間を正確にする」と、昔の偉い人は言っていた。読書は、人間を豊かにし
てくれる。だからこそ、読書を楽しむことができるということは、それだけ、
豊かな人間になるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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