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「こればかりは自分で」
エンジュ の広場
優里 あまこ 中2
 人は生きるためにいったいなにを必要とし、なにを必要としないのか。むろ
ん現代に生きるわれわれは徹底したシンプル・ライフは送れない。自分たちが
いかに文明の提供する便利や誘惑によって余計なものを多くもたされているか
、それら物の過剰によって生そのものをみえなくしているかを知らされるので
ある。
 
 シンプルな生活をしようと思ったってそう簡単にできることではないが、少
しずつシンプルな生活に変えていくことならできる。旅をして、シンプルな生
活をしている人とめぐりあい、実際に体験してみるのもいい。そうすると、意
外にも一日一日の過ごし方がかわるかもしれない。過去の世界をのぞいてみる
のもいい。シンプルな生活をしていた人は日本にだっている。そういうひとは
心豊かだ。豊かな心をもてるということは他の人とは違う<何か>を持ってい
るんだなと私は思う。
 
 <文明の利器>の普及により、人間の生活は大きくかわったと思う。これら
のなかには生活していく上で特に大切なものではなく、生活をしやすくするも
のがある。それはとても必要というわけではなく、ただ便利だからという理由
で使用されているものだってあるのではないか。デパートに行ったときに、エ
スカレーターやエレベーターを使ったことがあると思うが、階段を使うことは
あまりない。階段というものがありながら、なぜエスカレーターとエレベータ
ーを使うのかは便利だからと言う理由からであろう。だからそれがなくても生
活はしていける。
 
 シンプルな生活と豊かな生活はどちらがいいとは一概にはいえない。確かに
豊かな生活は便利だ。自分でやれることでもやらなくてよい。だがそれによっ
て豊かな心が失われてしまうのは悲しい。せめて自分でやれることだけでもき
ちんとやってみればいいのでないか。自分にとって一番の幸せは人それぞれだ
が、その<幸せ>に向かって日々努力していけるといいだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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