政治としての時間の制約 |
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政治としての時間の制約 |
現代人は時間に追われているとよく言われる。確かに朝起きてから寝るまで |
常に何らかの形で時間の制約を受けている。その制約は、果たして一概によく |
ないといえるのか? |
またそもそも時間の制約とはなんなのかについて考える。 |
第一に一般的によく言われる時間の制約についてまとめてみる。この場合、 |
つまり時間の制約とは、計画された時間を過ごすことだろう。それが綿密であ |
ればあるほど、人はいやがり不満を言う。学校だって制約を課しているいい例 |
だ。遅刻をすると怒られるでしょう?一方、毎朝遅刻ギリギリな人(私です!! |
)にとって制約のない日曜日はうれしい。この日曜日のような制約のない時間 |
は、「計画された時間」に対して「わがままな時間」とよべる。とにかく時間 |
の制約とは、スケジュール帳をびっしり埋めつくすような計画的な時間を指す |
のである。 |
そして次に、時間の制約というものの本来の意味について考えたい。本来と |
言うからには、そうでない意味もあるのだ。それは時間が現代人を制約、別の |
言葉で言えば支配しているという、時間の制約=人間にとって目の上のたんこ |
ぶ、式の意味だ。この考えでは、昔の時代ではそれほどあくせくしていず時間 |
にルースだった。だから昔の人は気楽だったろう、それがうらやましい、見習 |
いたいという図式ができる。しかし、僕はこの「時間が人間を支配」の考えを |
否定する。なぜなら主語が違う。そもそも現代社会で時間の制約が厳しくなっ |
たのは人間が、社会をコントロールするための方法の一つとして、時間の制約 |
を利用する方法を採ったのではないか。昔と違って情報が膨大かつリアルタイ |
ムで飛び交う現代では時間をきっちり取り決めた方が効率的、というより必要 |
不可欠かつ死活問題なのだ。特にその重大性があらわになるのは戦場だ。何日 |
の何時にどこに配置し何を合図に攻撃するか。いつまでに敵の防御拠点を落と |
すか。いつ補給しいつ進軍しいつ引くか。・・・常に「いつ」がつきまとう。 |
例えば、桶狭間の戦いでは、よく奇襲と言われているが、信長は実は今川軍の |
情報を徹底的に調べ上げて時間の経過に重点をおいた計画で必然的勝利を確信 |
してから交戦している。しかも信長のすごいところは義元の首級をあげた者よ |
りも情報収集をした将校を優遇して褒美をやったことだ。このとき、計画的な |
時間の使い方をしていなければ信長は確実に滅んでいた。4世紀前ですら(さ |
かのぼれば数千年前)時間による軍隊の統制が行われていたのだ。それほどに |
時間の制約は社会集団の統制法として優れていたのだ。 |
時間の制約は巨大な人間集団を統制する上で必要なのだ。つまり、簡単に言 |
うと昔は法律や慣習や軍事力やらで社会の秩序を形成していたが、現代社会で |
は時間も統制力の一つとして使わねば、社会を維持できないのだ。 |
時間の制約は人間が社会を維持するために採用した政治システムなのだ。だか |
ら、時間に追われる、といって制約から逃げ出すことは社会から脱することを |
意味するのだ。しかし、人間は本能的にわがままに行動したいという欲求があ |
るから、あまりに抑圧され続けるのはよくない。(これは誰にでもわかろう) |
社会の制約とわがままの兼ね合い。それを学ぶのが実は学校である。遅刻して |
先生が怒るのは社会のルールを教えるためなのだ。ここで先生こそ社会であり |
、生徒はその抑圧を受け社会性を身につけるために学校へ行くのだ。 現代人 |
は、このような時間の考え、並びに社会というシステムへの認識はっきりと明 |
確に持っていくべきである。 |