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全体性の思想を見直す
アジサイ の広場
あやの あしわ 高3
 個人利益を追求し競争し合うことで社会が自然と調和するという資本主義の
根本的思想が今崩れ始めている。それは資本主義が爛熟したことの印でもある
が、株の投資など、いわゆるマネーゲームが経済活動の中心を担うようになっ
たからだ。今までは生産者と消費者が互いに自らの利益を得ようとすることで
切磋琢磨し、質の高い経済社会を運営することが自然と可能であったが、マネ
ーゲームの世界では一方で利益を得る人が出ると必然的に他方で損害を被る人
が出現する体制に陥ってしまった。
 
 そこで、このような損か得の体制を改善するには、日本には古来からある「
譲り合いの精神」を見直してみることが効果的と思われる。
 
 資本主義は西洋の個人主義の理念、私利私欲最優先の思想、に基づいて発展
してきた。反対に東洋には全体主義の思想がある。日本の庶民の生活には未だ
その全体性の精神が少なからず残っているはずである。私たちはその他者と共
存するために全体的な幸福を優先し、私欲はその次に叶えられるべきだという
思想を、古くも新しい思想として、理論化する必要がある。この思想は、今ま
で西洋と東洋を比較した際に、東洋の方が「劣っている」という観念を生み出
した原因の一つでもある。しかしその「全体優先」の思想が実は新しい社会の
在り方を考える際にキーワードとなるのではないか。
 
 現代の日本社会も個人主義化の傾向が現れ始め、その結果としてか全体主義
を否定する傾向が見られる。何よりも自分の利益を優先するべきだという誤っ
た個人主義の理解を用いて自己の行為を納得させているような風潮があるよう
に思われる。自己中心的な人が急増している現象もこのような理由からではな
いか。
 
 だが人は常に誰かから気にかけられていたいと望むものである。社会はその
ような人と人が接することで成立する。時に自分から他人を気遣って「譲り合
い」の精神を実行に移して見ることで、人と人との関わり合いの大切さ、気を
配ることで得られるものの大きさが実感出来るのではないか。そして気を配ら
れた側の人も、その心を有り難く受け止めたい。
 
 欲せられているのは、譲り合いの社会ではなく、譲り合いの精神を持った市
民の社会である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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