美という言葉、俺には似合わねぇなぁ。ハハハ |
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AE86 | / | えや | 高1 |
美とは、本来、自然の造化による創造物の性質を言い表す言葉である。だか |
ら美は、人間の存在以前から滅亡の後まで、自然が存在して造化を続ける限り |
人間には関係なく持続しつづける性質であることを、確かに承知し直さなくて |
はならない。よって自然の美の本質は、美醜の対立を超越したところにある。 |
自然には醜いものがないのだ。しかし、近代に始まった美術は、当初から人間 |
の能力に絶対的な信頼をおいて出発したものであり、才能と個性への賛美によ |
って貫かれてきた。美の基準とは個性におかれ、醜は対立する美という範囲内 |
でしか考えられなくなり、自ら美の次元を低い段階に限定する状態となったの |
だ。 |
本来の美はコオロギが鳴いていたり、山に月や太陽が隠れていたりと、自然 |
現象(?)のことを指す。しかし、今は町中にあるオブジェ(?)のような物 |
に「美」を感じるようになっている人が多い。私はどちらかと言うと自然の美 |
が好きである。なぜなら、オブジェのようなものは「人に良く見てもらいたい |
」や「幾らくらいで売れるかな?」などと「欲」に走っているからだ。それに |
引き換えコオロギなどは「美しく見せたい」などとは考えてもいないのだ。だ |
から良いのである。私は「ゴッホ」や「ピカソ」といった人が書いた絵のこと |
を良く分からない。私の思うにあのような絵が分かる人はおそらく専門家くら |
いで、ほとんどの人には分かっていないだろう。しかし、分かる人にとっては |
「なんて素晴らしいんだ(^○^)」という感想を持ち、高く買うのだ。だから十 |
万や二十万、下手をすれば何千万といった値段が付いてしまうのだ。 |
しかし、自然の「美」にも当然欠点がある。今の人にとっては自然の「美」 |
とはただの雑音としか聞えていない人がいるかもしれない。そこが欠点である |
。私にとって「良いなぁ(~_~)」と思える音はセミが鳴く声や風鈴の音(あまり |
うるさいのは...)、それとチョット人とは違って、4A-GとEJ20と |
いうエンジンの音である。私にはとても良い音に聞える。しかし私の親は「ウ |
ルサイ」という感想を持つのである。はっ、4A-GとEJ20は人が作った |
ものではないか。これも「良い音を出したい」や「パワーを出したい」などと |
いう欲が絶対にある。最後の二つはキャンセル。 |
自然の物の良いところはもっと有る。まずお金がかからない。木などが生や |
すのは、苗木の料金と水代くらいである。しかし人工的な絵のようなものは絵 |
の具代、筆代などと色々とかかってしまう。しかも失敗することもあるのだ。 |
苗木などは失敗したとしても「自然のままの姿」と納得が出来る。しかし、絵 |
などは「これが芸術だ」と言い、高いお金を付けることも出来る。しかし、作 |
者の心には「失敗した」という気持ちが残るのだ。 |
とにかく私が言いたいのは「人が作った芸術には限界」というものがスグき |
てしまう。もちろん自然にも限界はあるが、人が作った物よりは遥かに高いで |
あろう。ということだ。もちろん私は「人工的な芸術の方が良い!」という人 |
の意見を否定はしない。あくまでも私は「自然の芸術の方が良い」と思うだけ |
である。 |