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先日、「ここがヘンだよ!日本人」という番組でいじめについて取り上げて |
いた。外国人にとって日本のいじめは全く理解不能であり、日本の学校に行っ |
たことのない彼らは、そのメカニズムについても良く分かっていない。だから |
、いろんなキレイゴトをならべて、「日本の教育システムがなっていない!」 |
だの「親のしつけが悪い!」だのと叫ぶ。確かにそうなのだ。日本国の裕福さ |
、勉強自体の意味のなさ、親の低年齢化などがいじめに関わっている事は確か |
であろう。しかし、今では良い事だと思われている平等社会が、実はいじめの |
解決策に関係しているという考えはあまりいわれていない。最近のいじめの例 |
では、先輩後輩の中でいじめが発生していないという点が特徴的だ。それは、 |
ひとりっこ化で世代間関係の仕方が子供の文化の中で育っていないからだと考 |
えられる。先輩後輩、兄弟、姉妹などの上下関係が“人は平等”という口先だ |
けのタテマエによって失われてしまっている。できる子、できない子、という |
関係は競争から生まれるが、その競争は受験1つだけで、子供達が励みにするよ |
うにはたくさん種目が用意されていない。世代間関係を定着させるためには、 |
競争をうまく利用すべきだと考えられる。 |
そのための方法には第一に、教育者の競争に対する考えが変らなくてはなら |
ない。例えば、成績の張り出し。人気漫画「タッチ」で、テストの成績の順位 |
が掲示板に張り出され、南が一番になっているというシーンがあったように、 |
私が小・中学時代行っていた塾では、定期テストの成績は1位からビリまで名前 |
と点数付きで張り出された。卒業してから恩師に聞いてみると、プライドが傷 |
つくような位置に自分の名前が載ったら、次のテストは頑張ってくれるだろう |
と思っていた、と言う。しかし、このような成績の張り出しは、最近の学校で |
は見かけなくなってきている。「成績は個人情報だ。プライバシーだ。」「で |
きなかった人がかわいそうだ。」などという理由からのようだ。学校で認めら |
れている唯一の競争もこんな甘っちょろいのではスリルがない。競争が競争で |
なくなってしまう。成績というものは、もちろん自分で見て励みにするための |
ものだが、人に見てもらって誉めてもらったり、叱ってもらったりするための |
ものでもある。そうでないと、良かった時の優越感も悪かった時の劣等感も、 |
子供の心には小さな衝撃しか与えない。もっとオープンな競争が必要なのであ |
る。 |
そして第二の方法には、競争の場を増やす事も必要だと思う。今の学校のよ |
うに受験1つだけしか競争がないのでは、勉強嫌いの子供はなんの取り柄もな |
いまま大人になってしまう。そんな経験不足の大人が、また同じような社会を |
築いていったのでは何も変らない。何か専門的な知識や才能、技術で優越感を |
経験し、打ち込めるようなものを探さなければならないのだ。人は優越感を経 |
験して初めてそれがおもしろいものだと認識する。その経験の場を用意するの |
が学校や教師の勤めなのではないか。誰だって、知識を身に付ける事が嫌いな |
わけではない。しかし、楽しいと思うかつまらないと思うかは人それぞれなの |
である。確かに、受験には5教科もあるんだからその中で優越感を味わえばい |
いじゃないかと思うであろう。しかし、受験のように全て出来ていなくてはい |
けないというシステムでは、嫌な教科も無理矢理頭に詰め込まなくてはならな |
い。だから、知識を身に付けるのが嫌になってしまうのだ。だから、もっとた |
くさん個性の発揮できる場が必要なのである。 |
また、1学年だけで何かをするという横のつながりだけではなく2学年上等の |
子供と遊ばせるという縦のつながりを深めることや、老人ホーム、保育園へ出 |
かけていって年齢の大幅に違う人と接する事も必要である。毎回1学年で何も |
かもやっているのは、井の仲の蛙ということわざがぴったり当てはまる。外の |
世界を知らないのでは世代間関係は定着するはずがない。年上や年下と接する |
事は心の柔軟体操のようなもので、「あぁ、こういう子にはこういう接し方を |
。」とか、「このお姉ちゃんはこわいからあまり余計な事を言わない様にしな |
きゃ」等といろんな考えが生まれてくる。そして、様々な人と話す事でどの人 |
にどのように接すればいいのかが分かってくるであろう。こういう経験が世代 |
間関係の基礎になっていくのではないか。 |
独立宣言を作ったトーマス・ジェファーソンは、人間には生まれながらにし |
て持っている当然の権利があると信じていた。そのなかに、「人間はみな平等 |
だ」という考えも入っている。しかし、それはアメリカがイギリスに奴隷のよ |
うに扱われていた頃の話だ。そういった方面から考えれば小さい子でも「みん |
な平等なんだからいけないんだ」という分別くらい付く。しかし、人には一人 |
ひとり性格があるのだから、人によって接し方を変えなくてはならないのは当 |
たり前だ。つまり、平等だといってみんなに同じ接し方をしても上手く行かな |
い。ということはやはり平等だ平等だと言っていても、一人の人間とまた一人 |
の人間がまったく平等だということはありえないのである。それが固定観念に |
されてしまっているからいじめが一向に収まらないのだ。私たちも何かにつけ |
てプライバシーだの、人権侵害だのと言うのはやめて、競争も、ケンカも、オ |
ープンに構えていく事が大切なのだ。 |