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断絶とは要るか要らないか
イチゴ の広場
エガ てせ 中1
人間は他の人間と自由にまじわることができる。あるいは、まじわる相手を自
由にえらぶことができる。しかし、そのように自由な人間関係のなかで、ひと
つの例外がある。それは、血縁の関係、とりわけ親子の関係である。友人だの
隣人だの夫婦だのは、「えらぶ」ことができるが、親子関係だけ
は、「えらぶ」ものではない。人が生まれた瞬間に、親子の関係は宿命的にあ
たえられてしまっている。こればかりは、誰にも、どうにもならない。なぜ親
子が「問題」化してきたのか。いくつもの理由をあげることができる。変化す
る社会のなかで親と子の経験がまったく異質化してしまったという事実に注目
したい。親は、じぶんが子どもだったときの経験を思い出してそれによっ
て子どもを育てるのではなく、育児書をひもといて子どもを育てる。乳児経験
の段階から、親子のあいだには、大きな落差がつくられているのだ。
 
 しかし私は、このような断絶があっても進歩したほうがよいと思う。第一の
理由に親子の問題は努力する事によって克服できるからである。私の家でも、
親子が使ったりする物はだいぶ違う。子供は、携帯やテレビゲームやパソコン
。親は、酒やナウい(死語)とかそのような事で親子は断絶してしまう。しかし
親は、子供に追い付こうと、
 
 「お、そのテレビゲームナウいなっ。(全然進歩してないじゃん)(笑)」
 
 などといい、進歩する。なので多少の断絶はよいと思う。
 
 第二の理由に、親に頼らなくても生きていけるからである。子供は親だけか
ら物を吸収する訳ではない。近所の人や友人からだって物事を吸収できるはず
だ。
 
 しかしよく考えてみよう。もしかしたら、断絶など要らないかもしれない。
いや、むしろ要らないといってよいだろう。今までに述べた話は、現代の話だ
。なら昔はどうであろう。ずっとたどっていくと原始時代からそうだ。昔は、
親から子へと物事を伝えてきた。いのししの狩り方や壷の作り方。今もそうす
ればよいのではないだろうか。今は、子供から親へと教える事が多い。要する
に親は古いのだ。なので親は、常に新しい物を取りいれればよいではないだろ
うか…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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