教育と競争 |
アジサイ | の | 空 | の広場 |
あやの | / | あしわ | 高3 |
A氏は、強制の伴わない教育はないと主張する。だから点数の評価が必要で |
、競争するのが自然なのだ。それに反してB氏は、人間は強制無しでも本能的 |
に学ぶ意志を持っていると言う。だから評価は必要であっても、評点は必要で |
はないのだ。 |
両者は教育の在り方について正反対の意見を持つ。 |
私はB氏の意見に賛成だ。A氏は現在の教育問題、「受験体制」や「偏差値 |
教育」の抱える問題を直視していないし、強制的な教育を正統化しているが、 |
そのようなものは教育としてのレベルも低く、身にも就かないだろう。現行の |
「受験制度」や「偏差値」が生徒への精神的ストレスや過度の不安感を与え、 |
圧力と為って逆効果を与えている面が在るのは明らかだ。 |
A氏の言うような教育の中での競争も、適当な量は必要で、良い相互作用をも |
たらす可能性を否定することは出来ないが、過剰な競争は各々の個性を否定す |
ることになり得るし、教育の真の目的が見失われ、評点本意で実質の伴わない |
空虚な教育に陥る基となるだろう。 |
私はB氏の教育に対する競争原理を否定する姿勢に賛同する。「競争」の象徴 |
である「点数・評点」という抽象化された基準で人を判断することは不可能で |
、判断の過程で捨象されたところにその人の長所が在るときは、その人は何の |
評価も与えられないことになる。そのような評価の方法は教育として差別的で |
はないか。これまでの「競争」にはまり込んだ教育を続けてきた結果として、 |
現在のような学校教育の空洞化がもたらされたのだと思う。 |
政治、経済の面では競争原理がうまく効果を発したかもしれないが、教育の |
分野にまでその競争原理を応用させて成功するとは思えない。なぜなら、人は |
他と競うべきなのではなく、本来は自己の内で色々な弊害と競い合うことで成 |
長するからだ。 |