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創造でいきるきのこ
アジサイ の広場
拓馬 ねき 中3
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 創造とは、きのこのようなものだ。きのこが地表面下で根を広がらせていく
ように、創造にも、蓄積の段階がなければならない。そして、きのこがそうで
あるように、蓄積だけしていてもいずれ芽を出すことなく朽ちてしまう。だか
ら、菌根の先の妨害条件によって新たなきのこが出るように、人もそれによっ
てはじめて創造を成すことができる。
 
 そう、創造には、この逆境が深く関係しているのだ。
 
 逆境にであって、それをひたすら緊急回避しているだけでは、意味がない。
その逆境を乗り越えるためにどうしようか考えること、それが結局創造につな
がる。私は、クラスなどで「めんどくさいこと」をする役に立候補することがし
ばしばある。成り行きでなって、「やらんときゃ良かった」と後悔することもあ
るが、それでも、その「逆境」を乗り越えるために考えたり、何らかの形で時間
をかけたことに関しては、決して悔やんだことはない。それは、「逆境」を通し
て、私の人生の財産になったのだから。「逆境」にであったら、「避ける」のでは
なく、「正面から乗り越える」べきなのだ。
 
 また、こういった本人のことはもちろんだが、幸か不幸か、人間はまわりの
環境にも影響されてしまう。ぬくぬく世間の厳しさも知らずに、欲しいものは
何でも手に入るという考えの人間を作る教育は、ことばが悪いが、ワガママ馬
鹿を作り出すだけだ。まぁ、さすがに「オラァ!!こんなもんも出来んのかぁ!!
罰だ!グランド19283周ぅぅぅ!!」というのはどうかと思うが、それでも、妨害
条件に対して、それをしっかり自分で解決できるようにしなければ、教育は教
育たりえない。かの豊臣秀吉だって、金持ちの家でぬくぬくぬくぬく育ってい
たら、絶対にあそこまでは上り詰めることは出来なかっただろう(ほかの人物
でも良かったのだが、基本的に私は秀吉が好きだから)。
 
 そりゃあ、危険は危ない(そのまんま)。だが、絶対安全の領域から一歩踏み
出す、失敗を恐れず、逆境に立ち向かうのは、人間が成長し、人類が成長する
のに必要不可欠なことである。「知識がはしごを作ったのではなく、二階に上
がりたいという熱意がはしごを作ったのだ」とは、昔の人は良いことをいったも
んだ。「二階に上がる」という逆境を経てはじめて、「はしご」は創造された。そ
れは、決して学校や塾で勉強していて出来ることではない。何らかの逆境あっ
てこそだ。それは、あたかも松脂などに出会うまでは、延々と菌根を伸ばし続
ける、きのこだ。創造とは、きのこのようなものだ。私が創造し、考えに考え
て、創造=きのこという結論になったとしたら、たらたら生きるよりも、私は
きのこになりたい。それなら私は、きのこになることもいとわない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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