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物事を解決するということの大切さ |
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高1 |
A・およそ隣人間でのもめごとの生じた場合、直ちに裁判に持ち込まれることは少ない。しかし、争いはエスカレートするばかりで末に弁護士事務所に駆け込 |
む場合が多い。このような現象は、二つのことを意味している。一つは、隣人間の紛争を話し合いで解決することの困難さであり、もう一つは弁護士の存在 |
がいかに市民から遠いものかというてんである。しかし、当事者の話し合いが望ましい。なぜなら、裁判の世界はイエス・オア・ノーの世界である。つまり |
、一方を悪者と決めつけてしまうからである。 |
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B・自明のルールというものがない上にどのように処理するかというもののメカニズムさえないのだからなにか公的な解決の場に持っていくことも止むをえ |
ないのではないか。 |
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私は今まで隣人関係で問題が起こったという経験もないし話にも聞いたことがない。 |
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しかし、もし、起こったら私は基本的に当人同士が解決するべきであると思うのである。なぜならば、問題に関わる当人同士がそのことの真相をしっかり |
と見極めて共通の認識の基にお互いの立場や考え方を納得のいくまで話し合い理解して解決策を導くの望ましいと思うからである。そういう話し合いの中で |
お互いの思いこみや偏見が薄らいで相手を理解し近づけると思う。最近の事件では高一の男子が近所の家族六人を殺害したことがある。その村で彼は不良の |
レッテルを貼られ近所の人から避けられていたらしい。そのことが気にくわなかったというのが殺害の動機らしい。殺人したということももちろんいけない |
ことなのだがその前に近所での評判について解決しようとしなかったことが重要だと私には思える。最近では物事をしっかりと話しをして解決するという習 |
慣がなくなっている。話をすれば表面的だった仲が深まって良い方向にいくかもわからない。いろいろな考え方をする人がいるからそのことがいいとも言い |
きれない場合もあるし、裁判が必要な場合もあるだろう。しかし、自分の問題は人に決めてもらわず自分達で解決するという心意気を持つべきだ。 |
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「問題とは、そこにあるものではなく、自分が作るものである。」という名言があるように隣人問題の原因は自分たちにあるのだという考え方を持つべき |
だろう。 |
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