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不必用に見えるものも・・・ |
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噴水は、飲めない水である。浴びることの出来ない水である。言ってみれば、何の役にも立たないものなのだ。もしかしたらミュンヘンでは、噴水の水で |
洗濯をしてもいいことになっているのかもしれない。夏の日照りが続き、恒例の水不足になると、都市によっては噴水の水を停めてしまうところがあるから |
である。停めたって、水不足を補うことにはならないのだ。「そぐわないからこそ噴水は噴水なのである」という視点が、ここには欠落している。「真剣に |
生活しているものの生活感覚を、さかなでするものであるからこそ噴水は噴水なのである」という、まさしく噴水の立脚点とでも言うべきものが、無視され |
ている。つまり、各都市が水不足になる度に、我々の噴水は危機に立たされていると言っていいだろう。見ているものを楽しませようとする工夫であろうが |
、あれも、噴水の真に噴水たるものを見えにくくさせる。噴水は 、ただ水を噴き上げていればいいのである。 |
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僕は、回転すしが大好きである。その為、一番無駄があるように感じてしまうのは、回転ずしである。すしは、握ってもらって、ただそれを食べれば良い |
のである。しかし、すしが回ってくるのに、なんの意味もない。コンベアーですしを移動させるのには、何の意味もない。むしろ、注文して握ってもらった |
方が、新鮮かつ早い。それなのにすしをまわしているのは、文化の発展だろう。また、余裕の現われだろう。だが、そうやって意味のないものほどみんなに |
好かれやすい。 |
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縄文時代などの昔は、飲み物といえばただ水を飲んでおれば良かったが、最近になってジュースが売り出されている。牛乳は別として、ジュースなどは別に飲 |
まなくてもいのちにかかわるようなことはない。つまり、無駄である。しかし、そんな無駄があるから、人世をやっていて楽しいのである。他にも、ゲーム |
はやらなくても何ともないが、べんきょうなどの息苦しい時間から少し開放される。と言うことだろう。 |
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「無用の用」ということわざがあるが、回転ずしのコンベアーは、それほど必要なものでもない。しかし、それに遊び心があって、客を集めるのである。 |
噴水と言うものは、それ程必要なものでもない。しかし、そこに意味がある。それと同じ様に、回転寿司、ジュース等の意味のないものの方が、好かれやす |
い。人間にとって、意味の得にない無駄なものとは、息抜きなどになる、とても大切なものなのだ。 |
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