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環境保護とその矛盾 アジサイ の広場
あやの あしわ 高3

 自然環境保護が叫ばれるようになって久しいが、我々はその主張の矛盾に果たして気づいているのだろうか。北野武が言うように、人間がここまで繁栄す
るようになったのも自然を人間に都合の良いように無理やり変えてきたからであり、これからも人間はそうしつづけなければならない。にもかかわらず我々 は絶対的な自然環境の保護を求めているのように思われることがある。地球にとっては本音のところ人間がいない方が良いのだろう。その人間が「地球を救 え」と言ったところで最初から地球そのものが望む最善の環境を維持する事は不可能なのだ。  

 こんな話がある。環境保護の風潮で「環境にやさしい椰子のみ石鹸」が売れるようになったが、そのための椰子を栽培する焼畑で熱帯雨林を破壊してしま
っている、というなんとも本末転倒な話だ。このような普通に考えればその矛盾に気づくようなことでも気がつかない、その理由は我々が目先の環境にのみ 注目して、環境問題の全体像を見抜いていないからだ。要するに皆、木を見て森を見ていないのだ。  

 我々は地球全体のサイクルを視野に入れた、人間にも他の動植物にも地球にも互いに程よくバランスがとれていて、「共存」という言葉に見合っている環
境の理想図を世界規模で考えてゆく必要がある。このような研究は学者の間では既に始められている事だろうが、未だ一般市民には地球全体の相関性を見据 えた上で環境問題を考える姿勢が薄いように思われる。確かに身の回りのことから始めるのが最も実践的で重要ではあるが、前述べたような矛盾を引き起こ さないようにするには、地球環境と人間生活の相互関係を理解し、自分が今やっていることは本当に「環境保全」なのだろうか、と考えることが必要だ。  

 私が主張したいのは、人は全て自然保護のために尽くせ、ということではない。第一それは不可能だという事を前述べたし、我々人間が生きる上での根本
的目的とは、幸福を求めることで、決して自然保護のために餓死することではないからだ。現状ではほんの一部の人間のみがこの目的により近づいていて、 多くの者が自然環境と人間環境の狭間でのパラドックスに悩まされている。我々にはこのパラドックスを今後どのように紐解いて行くかが最大の課題となる                                                    
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