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名前は私 アジサイ の広場
ノッポ いえは 高2

 私の名前は、木野内ゆうである。
 

 私は、この「ゆう」という名前が嫌いだった。男に間違えられたり、単純だからだ。しかし今日まで、この名前を何十万回と使用した。そして、色々な人
にこの名前で呼ばれた。「ゆう」、「ゆうちゃん」と呼ばれたり、「ゆう!」と怒鳴られるうちに、私は「ゆう」に親近感を持ち、私にとってとても大切な人にな ってきた。  

 子供の頃、じぶんの好きな人の名前を自分の大切な人形につける人が多い。そして、その人形を本人のように扱う。それは、同じ名前をつけることで名前
の主の魂までもが人形に入ってくる気がするからだろう。  

 ある年、世間で活躍した人がいると、その直後からその人物と同じ名前の赤ちゃんが急増すると言われている。最近では、甲子園で活躍した松坂大輔にち
なんで「大輔」という名の子供が多くなった。同じ名前をつけることで、その子にも松坂大輔にようになって欲しいという願いが込められているのだろう。  

 名前とは、その人物を見分けるものではなく、その人自身なのである。「人は、名前どおりの人になる」と言った人がいたが、その通りなのかもしれない
。人が名前に近づくのか、名前が人に近づいてくるかは、わからないけれど、名前はその人物を表わす鏡なのである。  

 
                                               
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