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人間の欲望ニついて アジサイ の広場
アツコ とれ 人間の欲望について  

 数年間修行をしていた雲水は、あるとき女性に抱きつかれても「古木寒 によって三冬暖気なし」と動じなかった。それを聞いて、雲水を見初めたお婆さ
んは、怒り、雲水を叱った。人間としてあるべき姿というのは、何事にも動じずにいるという「正しさ」ではなく、己を知り、それから逃げないという「正 しさ」なのだろう。  

 人間の欲望とは「、、したい」という気持ちで、それは理性や自分の意識とは別のところで内在的に、潜在的に私達が持っている感情である。例えば、私
達の便利な生活も実は欲望によって動いているのかも知れないと私は思う。数年前からごみ問題がクローズアップされている。当初はごみの量の増加から処 分場の不足が問題となっていたが、近年ではそのごみの内容の多様化(プラスチック、ペットボトル、発泡スチロールなど)、それに伴うダイオキシンの空 気汚染の問題、リサイクルの限度など様々な問題へと発展している。最近では特に使い捨ての商品が増えてきている。あるデータによると多くの人々はより 便利になって行く生活が問題をもたらしていることを認識してはいるが、止められないと答えたそうだ。楽だから、便利だからとなかなかやめられない、欲 望というか理性とは離れたなにかが突き動かすその気持ちを認めつつ、どう別のエネルギーに変えようとしていくかが大切なことだと思う。  

 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の中で、この世で沢山の悪事を働き地獄にいるカン陀田が、一度だけ蜘蛛を殺さずに助けてやるという善いことをしたのを、お釈
迦様は思いだし蜘蛛の糸をたらしたという場面がある。血の池にいたカン陀田は、それを見てしめたと思い、糸をしっかりと掴んで上へ上へと登り始めた。く たびれたカン陀田がふと下に目をやると他の多くの罪人がよじ登ってくるのが見える。それを見てあわてて「糸は俺の物だ!」とわめくと、その途端、糸は切 れてしまった。カン陀田の「自分だけは助かりたい」という欲望が自業自得の結果を招いてしまった。  

 欲望のままに追求するのでは、ただのわがまま、自分勝手、独りよがりになってしまう。だからといって欲望を拒んだり押さえつけたりするのでは自分の
気持ちを抑圧することになってしまう。欲望はそれがあるからこそ人々が向上できるのだから、決して悪い物としてみてしまう必要はない。それを受け入れ てどう自分はそれをコントロールするのかが、大切なことなのではないだろうか。そのようにして自分の内面や無意識な部分を見つめて行くと、様々な自分 が見えてくる。すると自ずと何をしたらいいのかが分かってくる。それはごみ問題や対人関係、ひいては差別や偏見の問題とも通ずるのではないかと私は思 うのである。  

 
                                               
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