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アジサイ の広場
ほり内 ぬり 中1

 世界は二つある。事実の世界と、感覚世界がある。事実の世界というのは、今ある世界のことである。今ある世界といわれても、ぴんとこないと思う。(自
分もよくわからない)ではこんな風に考えよう。ある一つの家がある。その家の家族は、5人家族である。しかもそれぞれ個人部屋をもっていて、洗面所、キ ッチンリビングルーム付きだ。つまり、その家全体のことを、事実の世界ということにしよう。感覚世界というのは、自分が考える世界のことだ。例えば、 自分がオリンピックにいったらどうなるかな? とか、もし有名人になっていたらどうしようというようなことである。さっき説明した、家で例えると、ひ とりのプライベートルームのことだ。  

 僕は二つの世界のどちらかを選ぶとしたら、感覚世界が良いと思う。
 

 その理由は第一に、感覚世界に触れると、心が豊かになるからだ。例としては、本当は死んでいるのにいつでも、もとの体や内臓を取っている、エジプト
のミイラがあげられる。ミイラは、逝った人間を、まず、内臓を保管する。カスノス壷を鼻の前に備えて、鼻に管を入れて、脳みそを、ほじくって、腹を切 って内臓を取り出して、包帯で、ぐるぐるにするものだ。このように、そんなことしなくても逝ったら逝ったのだから、いみはない。だが、そういう風に、 命は永遠になるという考えがあるからこそやると思う。  

 第二に、感覚世界にいると、いつも、自分が主人公になれるからだ。
 

 確かに、事実の世界に頼るのも良いが、やはり、物語でみても良いのだ。
 

 
 

 
                                             
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