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マニュアルは今の世の中に必要ない?! アジサイ の広場
AE86 えや 高1

 アメリカン・インディアンの男性で、FBIの捜査官を殺害した容疑で長期拘留されているレナード・ぺルティエや、元ブラック・パンサーのメンバーで
黒人ジャーナリストのマミア・アブジ ャーマルの解放のために活動し、ネオナチ反対のコンサートを開いたり、あるいは、コンサート会場で売られる高すぎるTシャツに抗議し、検閲制度にプロ テストしたりもする。「文化そのものが政治的だということを否定しないということは、とても重要なことだと思う」と彼らは語っている。自分たちの音楽 それ自 体がすでに一個の政治であり、抗議する対象もまた政治である。あらゆる機構の細部  

 日本は「国際化」という顔を持った「アメリカ化」が大好きである。よって、飴立夏のマニュアル社会現象(?)が日本にも大量に入って来た。現在、ほとん
どのモノにマニュアルがあると言っても過言ではない。マク○ナルドなどには、「これでもかっ!!!」と言う位の同じ様なマニュアルが存在する。マニュ アルさえあれば失敗しないと思っている人も多いだろう。しかし、現段階では失敗しなくても、将来必ず失敗するであろう。なぜなら、言われた事を言われ たままにやる。要するに「造られた人間」となってしまうからだ。機械制御のモノにはプログラムされたことしか出来ない。制御しているのが機械か人間か の違いを除いては、人間も同じである。  

 現社会にはマニュアルというものが溢れ過ぎている。よって、もっと減らすべきである。なぜなら、「人間がほとんど考えないで動けてしまう」からだ。
私は「発想の転換がウマく出来る人が、これからの社会では生き残る」という言葉をよく言う。っが、マニュアルがあると、発想の転換をしなくても、その 通りに動いていれば問題ないので、人間は退化してしまう。使わないモノは退化していく。その通りである。マニュアル通りにばかり動いていると、人間の 発想の転換能力はどんどん劣っていってしまうのではないだろうか? エレベータ・エスカレータ・自動ドア等を使い過ぎると、足や手が退化して、しまい には無くなってしまうのではないだろうか?   

 確かに、マニュアルは必要だ。しかし、あくまでも「お手本」程度にしてもらいたい。指示通りに動く場面もあるが、その様な中でも「自分で考える」と
いうことを、いつも頭の片隅にでも置いておいて欲しい。  

 
                                                 
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