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科学 アジサイ の広場
スライム あめひ 中1

 今、私たちの生活には科学というものが欠かせなくなっている。確かに科学のおかげで便利になったが私たちは頼りすぎてはいないだろうか。
 

 その理由は第一に、科学は完全なものだとおもわれているが使うのは人間、使い方しだいで大変なことになるからだ。例えば、車はいろいろな便利なもの
がついていて機能はよいが、運転する人間が少しでも失敗してしまうと大変なことになってしまう。「トランプが生きているのは、それが実際のプレイに使 われているときである」という名言があるように、機会などは使うことによって真の力が出せる。何もしなければただの鉄くずに過ぎない。だから私たちは 、科学は完全なもので安全だとは思わず、使うのは自分たちということは考えながら、科学というものは使うべきだろう。  

 その理由は第二に、私たち人間としての能力がおとろえているからだ。例えば、コンピュ~タ~は、字もかけて計算などもできる。すると自分で字は書い
たり計算したり必要がなくなりそれらができなくなってしまう。私は最近、教科書の内容が単純になりすぎていると思う。これも科学の発展の結果だろう。 昔は大概の事は自分でやっていたが科学が発達したことによりほとんどのことは科学に頼るようになってしまった。だからこれからは、科学は使ってもよい が自分できることは自分でやるべきだろう。  

 確かに、科学が発展し便利な社会なるのはいいが、今の私たちは科学に頼りすぎていて、科学に踊らされている。人間にとって科学とは生活にはきっても
きれない存在になっている。だがこれからは科学は使ってもいいが、限度があるということを知るべきだろう。  

 
 

 
                                               
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