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講評 題名: 言語的二重性 名前: 弥生 さん( いきか イチゴ の広場
内容 字数 777 構成 題材 表現: 主題:   表記:

 体験実例が生きているね。全体の構成もしっかりしている。 ブラジルの日系社会の例から始めた書き出しは印象的。
でも、この段落の「まず最初に母語を」というのは、この場合、ポルトガル語になるんでしょ? それとも日本語という 意味? そこがちょっとわかりにくかったかな。 第一の方法の「読書が有効」というのはわかりやすい。同じ本を繰り 返し読むような習慣があればいいんだけど、今はそういうのがなくなったからね。欧米は聖書やシェークスピアのような 定番があるからいいけど、日本の場合は今更四書五経というわけにもいかないし、苦しいところだね。 第二の方法の「 作文も有効」というのは、第一の方法との関連で考えると、やや幅が狭いか。第一の方法が教育的なアプローチだったら 、第二の方法は政治的なアプローチのように幅を広げて考えてみるといいよ。 結びの反対理解は、「確かに聖書も」と 具体的な話に行くのではなく、「確かにバイリンガルも」のように、冒頭に提起した問題に合わせて一般的に書いて、そ のあと「例えば聖書を」と進めていくといいよ。わかる? 「学生時代の先輩後輩間の言葉使いも」は、いい文章。これ からも使える。▲言葉遣い。 ◆次回は、「島国言語と冗語性」。第一段落で状況実例。第二段落で冗語性の低い日本語 のよい面。(文化的に洗練されている。察し合いを前提にした文化のよさといところ。微妙だね)。第三段落で冗語性が 今後必要になるという面。(欧米諸国と対等に論じ合うためには、法律的な言葉もちゃんと駆使できないといけないから ね。日本のように「まあまあ、そこをなんとか」とか「前向きに善処します」などという言葉は国際社会では通じにくい だろうから)。第四段落で、うち向きには冗語性を残しつつ、外向きには冗語性を高めていく必要性というようなことを 、今後の日本文化の課題としてまとめられるといいかな。"☆" 森川林 先生( なね
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