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死という事は |
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エガ |
/ |
てせ |
中1 |
人は強くなったために狩る立場に立つことはあっても狩られる側にまわることはほとんどなくなった。そして、最近では事故や病気で死ぬことさえ最小限に |
抑えられ、現にわが国などは、平均寿命において世界一の数字を誇っている。喰われることは不幸である。それは生命というものが個体にのみ宿り、あらゆ |
る努力を払って個体の存続をはかることが生命の第一原理である以上は当然のことだ。しかし、追われる立場で動物としての知恵をしぼって相手をまくこと |
、いやもっと危なくぎりぎりまで追いすがられて、自分の脚力だけをたよりにからくも逃げきること、相手の存在に一瞬早く気付いて巧みに回避することに |
さえ、大いなる喜びが込められているのかもしれない。 |
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人は、普段の生活に「死」というものを考えていない。いや、普通は考えられないものだ。そのことによって人は、生きる喜びというものを忘れてしまった |
。死というものを常に考えなくてはならないものは、野生の動物である。生きるか死ぬか、それだけを考えるだけで精一杯である。そして、今日いきた喜び |
を実感するのである。 |
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人というものはなぜ、つまらない人生を送っているのか?それは、死というものを考えていないからだ。では、死というものを考えるとどんなことが起こ |
るのか、その理由は二つある。第一の理由に、死を考えていると、人生にやる気がわいてくるからだ。死ぬまでにやりたい事をやろう。自分の夢をかなえよ |
う、そんな思いが湧きあがってくる。死という堅いイメージではなく考えてみよう。ほかに人のやる気が湧くものは何か?皆さんもこういうことはあったろ |
う。試験前のとき、必死に勉強する事。締め切りまでに仕上げようとする事。人には期限が会った方がいい。死ぬまでの期限、テストまでの期限、生きてい |
る実感が湧いてくるのはこの時だ。悲しい事があったり、おもしろい事があったり、つらい事があったり、人には表情がある。この表情こそ、いきている実 |
感ではないか。 |
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第二の理由に、死を常に考える事によって、いざというときの心構えができるからである。自分は死を恐れる事はない、そういつも思う事によって例えば |
の話だが、大地震があったとしよう。その時普通の人は、大パニックを起こしてしまう。今まで何かに食われる事はなかったが、いま、自然に食われそうに |
なっている。その時に、死から来る恐怖に、冷静な判断ができなくなってくるのである。しかし、死の心構えがあった場合、生き残れるという勇気が湧いて |
くるはずではないか。私にもこんな体験がある。よい話とは言えないが、というより悪い話だ。私は小6のとき、学級委員をやっていた。ある日、友達に |
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「学級委員をサボって遊ばないか?」 |
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という誘いがきた。私は学級委員をほとんどいやいややっていた。私は怒られる覚悟を決めて、抜け出したのだ。その後の結果は言うまでもない。 |
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確かに、死というイメージは恐怖を引き起こす。しかし、こういう名言がある。寒さに震えた者ほど、太陽の暖かさを感じる。死という事を考えてこそ、 |
生きている暖かさを感じるのではないか。 |
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