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砂漠には点々と、人の枯木。 アジサイ の広場
眠雨 うき 高1

 努力には結果がついてくるべきだ。それ自体は至極もっともな意見であるのだが、最近は努力の大切さが徐々に忘れられ、安易に結果のみを求めようとす
る傾向がある。社会はスピードが重視され、効率が求められているが、この社会を生み出したのは、試行と錯誤であると忘れてはならない。そして我々の生 涯の多様な経験もまた、試行錯誤の過程を通じて色を重ねていかなければ、真に己自身の保有する財産とはなりえない。利便性に溺れず、目標へ辿りつく「 過程」を大切にする姿勢が、我々に必要とされている。  

 方法としては第一に、深呼吸があげられる。自分の取り組んでいる仕事へ即急な結果を求めるより先に、ひとまず一端深呼吸をしてみるのだ。それは本当
に今終わらせなければならないことだろうか?本当に結論を出せるほど、自分はそれを経験しつくしただろうか?落ち着いて目を開き、仕事をもう一度見下 ろしてみる。つまらないとか面白いとか、結論を下せるほどに自分にはそれに対する蓄積があるか?肯定も批判も、判断材料がなければ単なる空論にすぎな い。じっくり腰を落ちつけて、深呼吸を一つ。そうして再び仕事へ取り組むのだ。私も、今でこそ詩文に親しんでいるが、読み始めたころはさっぱりわから なかった。友人に薦められて中原中也を手にとってはみたものの、認識の世界に収まっている言葉はなんとも意味がとりづらく、僅かに七五調の心地良さが わかった程度であった。だがそれでも一応友人に薦められた手前(そして何より話が合わないというのは中々辛かったので)、首をひねりながら読み進めて いた。だがそんなある日、「在りし日の歌」も後半に迫ってきたころ、「幻影」に突き当たった。彼の作品の中では異色作ではあるが、当時の私にとってそ の情景は、物悲しく、清かで、貞潔だった。まさに「感動」だった。難解ではありながら詩歌の読解を途中で放棄せず、首をひねりながらも読みつづけた自 分へ拍手を送りたい。怠惰と省略を良しとしない真摯な姿勢こそが、自分のうちへ財産として在る経験を作りだす。  

 また第二に、あまり現代科学は安楽さ・快適さを求めすぎてはいけない。科学は過程を省略し、結果をなるべく良いかたちで残そうとする。全自動皿洗い
機や全自動洗濯機は非常に便利だが、自分の手で洗浄や洗濯を行なうことによって得られるさまざまの経験は、そこには在り得ない。各人の好みにあわせて 料理をつくる気配りや、誰かのために食器を洗ってやる愛情、そしてそれに起因する喜びなどは、実際にそれを味わわねば一生分かり得ないものであるし、 またそれを味わっていることは自己を確実に善く変革する。科学の進歩は喜ぶべきことではあるが、それが人間の労苦を必要以上に減らすことになってはな らない。例えば最近、新聞を読まない子供が増えているという。社会情勢に関心があったとしても、その情報はテレビで仕入れてしまうのだ。映像と音声に よってこちらへ情報が流れ込んでくる、新聞に比べ受動的なメディアであるテレビというのは確かに情報収集に楽ではあるが、文章に親しまなくなる、積極 的な情報収集・検索ができなくなる、漢字の読み書きができなくなると、新聞を読まないことによる弊害は大きい。  

 確かに社会生活というのも中々に忙しく、それなりの結果が出せれば試行錯誤などに一々時間を割いてはいられない、というのもわかる。私も最近は時間
に追われる仕事が多く、つい効率を求めてしまいがちだ。だがそうして省略された時間の中に存在したはずの大切な何かを、我々は知らない。それは陽光を 浴びることもなく、生まれることもなく、ただ可能性のみが朽ちていったのだから。砂をさらりと掌で、すくいあげてはまた零れゆく。掌の窪みに残る輝か しい種を、灰色の男たちが葉巻に変えた、我々に足りないその花を、徒労に思えようとも探るべきだ。報われない努力かもしれない。だが「報われた」人間 とは、須らく努力しているものなのだ。                                                    
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