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世間|社会 アジサイ の広場
潤之介 かな 中1

 社会は個人から成り立つものとされている。
しかしながら、現実の日本人の多くは、社会を構成する個人としてよりも、世間の中にいる、一人の人間として行動している部分の方が多いのである。欧米 人は日本人を権威主義的だとみることが多いが、それは日本人が常に世間の目を気にしながら生きており、彼らからみると個性的ではないようにみえるため である。個人の性格にもよるが、世間の中で暮らす方が社会の中で暮らすよりも暮らしやすく、楽なのだ。日本人の多くは世間の中で暮らしている。しかし 日本の学者や知識人は「世間」という言葉から市民権を奪い「世間」という言葉は公的な論文や書物には文章語としてほとんど登場することがない。  

 私は、社会の中で暮らすよりは、世間の中で暮らした方がいいと思う。その理由は二つある。一つは、告げ口(チクる)すると日本では人間関係がうまくい
かないからだ。たまにチクるくらいだったら別にかまわないのだが、しょっちゅうチクってばかりいるとみんなに煙たがられるし、嫌われる。昔、私のクラ スにも自習時間などに何かもめごとがあったりごたごたがあったりしたら、  

 「先生呼ぶよ!」
 

 などと言っていた人がいたが、その人はいつも自分では止めようとしないで先生を呼んでばっかりいたので、先生に気に入られようとしているなどと言わ
れて、ほとんどの人に嫌われていた。だから私はしょっちゅうチクってばかりいるのもどうかと思う。  

 第二の理由は、かばいあう方が、居心地がよくなってお互いに穏やかな雰囲気になるからだ。私も最近かばってもらったことがある。学校で学年集会の時
に、違うクラスの人とふざけてて、相手の腿間に私の膝が入ってしまった、その相手は、先生にいうときに、私をかばって、  

 「クラスの奴とふざけていてこうなりました。」
 

 と、いったらしい。それをその人から聞いたとき、私は、「こいつが困ったり間違ったりしたらかばってやろう。」と思った。そしてその人とはまだ友達
である。こういう事からも私は、チクる、チクられる。というのよりか、かばう、かばってもらう、という方がいいと思う。  

 確かに、「優しさが性格の弱さであってはならない。」という名言のあるように、行き過ぎた行動はしっかり注意しなければいけない(雪印牛乳とか)。だ
がやはり他人との関係を守るためにはチクらない方がいいのかもしれない。  

 
                                         
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