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遊び アジサイ の広場
金剛くん あゆわ 中3

 学童の遊びには多くの想像力や抽象思考力がはいってくるからきわめて多彩なものになる。低学年では特に何なにごっこがさかんになる。こうした幼友達
の味は一生忘れられないものとなり、対人関係の基盤を作る力を持っている。上級学年になると今度はルールを遵守するボール遊び等がさかんになり最後に 自分たちでルールを作るまでに発展する。これらは新しい精神の世界を生み出す基礎能力となるから大人はこれらの芽をつまないようにしたい。  

 確かに僕は遊ぶことは大切だと思う。きっと勉強などでは育たない遊びだからこその何かを育てることができると思うからだ。僕は小さい頃に、ボール遊
びをしていつもいつも同じ遊びをしていてある日ナにか新しい遊びはないかと頭をひねらせたことがあった。しかしどんなに考えても、三分やったら飽きて しまうつまらないゲームになってしまうのだがその三分間は短い時間だが少々の喜びを感じることができたと思う。遊びはきっと喜び以外でもなにか役立つ ものを与えてくれたのではないかと思う。  

 しかしいくら勉強ばかりではなく遊びばかりをしていては基本となる部分がぼろぼろになってしまう。いつか九九のできない大学生がいると聞いたことが
ある。こんな事はいけないいくら遊びから得るものが大きいとしても勉強をしなければ大人になってから困る。遊びが大切だといことで僕が小学校の時塾で 社会の先生は僕の脱線した話は確かに役立たた内かもしれないが千分の一位の確立でテストに出る。と言っていた。これは遊びがいつか役立つかもしれない ということに似ていると思う。  

 この用に、遊び勉強には何処か共通したものがある。だから、「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っている。」と言う名言のよ
うにどちらの価値も認め遊びと勉強どちらも両立させなければならないと思う。(しかしそれで頭を悩ませているときに同間違っても親に聞いては行けない 。親はやはり子供に頭がよくなって保惜しいと願っているから返答はほとんどの確立で勉強になってしまう。)  

 
                                                 
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