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清書:気持ちの配達人「言葉」 アジサイ の広場
ノッポ いえは 高3 私は一年前に観光目的でタイを訪れた。様々なことを経験できたが、タイにどっぷりと浸かりきりたいという想いは達成できなかった。それは、私が日本語 しか話すことができなかったからだ。この旅で一番痛感したことは、「言葉(現地語)ができたら、もっと楽しかったのに。」という気持ちだった。話せた ならば、現地の人ともっと交流できタイのことを詳しく知れたと思う。もし言葉ができなくても、同じ人たちと一年間いっしょに暮らしていたならば、お互 いの気持ちも表情や信頼で補うことができたかもしれないが、私の二週間という滞在期間は、あまりに短かった。  

 世の中は、言葉が幅をきかせ過ぎているという声もあるが、異なった環境の人たちと交流するとき言語が共通だったならば、私たちは様々な人々から自分
には持っていない思想や情熱までも分かり合うチャンスをもてるのである。  

 
                                                     
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