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謙虚 |
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潤之介 |
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かな |
中2 |
日本の会社が香港で現地の人間を採用しようと求人広告を出したという。すると瞬く間に、たくさんの香港人が押しかけた。会社側はさっそく面接をして |
みたが、ほとんどの人が、挨拶程度しか日本語を話すことができなかったそうである。もし日本人が、「あなたは英語が話せますか」と問われたら、たいが |
いの人は、「少しだけ」と答えるであろう。これが日本流「謙譲の美徳」である。 |
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私は、「香港の人達のように自信家にならない方がいい。」とは言わないが、日本のように「謙譲」を「美徳」とする意識があってもいいと思う。その理 |
由は二つある。 |
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一つは、謙虚になることが自身の成長につながるからだ。香港のように「速い者勝ち」の社会は、どれだけ人を蹴落とせるかで自分の未来が決まるから、 |
相手の長所を認める=自分の負け。という方程式がいつのまにか出来上がってしまい、相手の短所ばかりを見ようとする。こういうのは、ある意味で生きぬ |
いていく力とかはつきそうだが、やっぱりなんかなぁと思う。それに比べて謙虚にやると、相手のしたことに素直に感動でき、これからの自分のいい手本や |
、資料になる。スポーツなどでもよく、「自分は上手いと思ったときには、もうすでに自分の成長は止まっている。」というようなことを言われる。ほかに |
も、「下手糞の 上級者への 道のりは 己が下手さを 知りて一歩目」などという句があるように、自分が成長するためには、まず自分から謙虚にならな |
ければいけないと思う。 |
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第二の理由に、自信過剰すぎると、周りの人に嫌われるからである。学校などでも、自分が一番というような態度でいる人は、嫌われているか、陰口をた |
たかれているかどっちかである。それの一番いい例は学校の先生である。自分の一番嫌いな、特に嫌いな、中でも嫌いな、滅茶苦茶嫌いな先生を思い浮かべ |
て欲しい。大体そういう先生は、自分が一番という態度でいるか、私たち生徒をなにか格下の者のように扱っている感じのする先生だと思う。このように、 |
わがものがおでふるまっていると、周りの人から煙たがられる。 |
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確かに、高い能力があるのに謙虚でいると、それは皮肉にしかならない。私のクラスにも、期末テストが返されたときに、「全然駄目だよー」とかいって |
おきながら、9割以上とっている怪物がいて、そのとき私はつくづく、「なんだこいつ」と思った。しかし、「花は誰が見ていなくても咲いている。」とい |
う名言のあるように、自分で主張しなくても、意味のあるものは知らない間に認められているものである。 |
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