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清書:6 エンジュ の広場
ひろりん あしゆ 中1

  地獄の6周
 

  ひろりん
 

 私の住んでいる川崎市で、連合運動会,という大会がある。運動会みたいなもので、市内の全校の6年生が100メートル走や長距離走などを競い合うもの
だ。その日は連合運動会の選手を決める日で、私はドキドキしながらもワクワクしていた。陸上が好きなのもそうだし、私はこういう選考会みたいなのが好 きなのだ。先生が言った。  

 「じゃー長距離走のタイムとるので校庭6周 ねー。」
 

 頭の中でお寺の鐘がゴーン・・・となった感じだった。
 

 突然だが私は短距離走が得意だ。3年生からずっとリレーの選手をやってきた。これは自慢だが一応学年の女子で1番速い。しかし、長距離走は違う。長
距離走は私の最も苦手とする分野で、すぐ息が上がってしまう。校庭1周ぐらいが関の山だ。それを6周。1周の6倍だ。6週はした後の自分を想像してワ クワクしていた気持ちがふっとんでいった。 前のグループの人たちがどんどんスタートしていき、私の出番になった。そしてスタート。なんとか1番前に ありつき、つかれないようになるべくゆっくりとしたスピードではしった。私の後ろには運動会のリレーの選手のおなじみメンバーや、連合で選手になりそ うな人たちが走っていた。  

 「これ抜かされたらかっちょ悪いな・・・」と思い、少しだけスピードアップした。それが悪かったのかもしれない。3周目ぐらいになると息切れがひど
くなってきて、だんだん後ろの人に抜かされていった。  

 「馬場さん大丈夫?」
 

 とすわっている男子に声をかけられながら、私はへろへろと走っていた。3周目でこんなにひどいなら6周目は恐ろしいものに違いない。
 

 「あと3周もある・・・。」
 

 という言葉が頭の中をぐるぐる回る中、私はなんとかゴールまでいけたのだった。 6周走った後の私は、予想通り恐ろしいものだった。息をするたびに


 「ずひゅー・・ずひゅー・・」
 

 という感じで、のどがかぜのときより痛かった。今にもはきそうなほど気持ち悪くて、たとうものならふらふらして歩けなかった。このとき私は、 「死
んでも長距離走は2度とやらない」 と決心した。  

 しかしおそろしいことに、中学ではマラソン大会があるらしい。1キロぐらいでこんなにばてたんだから、3キロや10キロでは地獄を見るだろう。高橋
尚子選手なんて神だ。私は陸上部に入るつもりなので、そのとき長距離を鍛えたいと思う。中学の目標はズバリ「長距離をきたえる!!」だ。                                  
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