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自分を信じる エンジュ の広場
はるる くあ 中2

 おおかたの日本人の心のなかには、良かれ悪しかれ「謙譲」を「美徳」とする意識が残っているような気がする。どうも人はひとりの人間のイメージをひ
とつに固定したがるものらしい。かくして人は、自分の立場を確保するために他人を型にはめたがり、その作られや型からはみ出て「打たれる杭」にならな いよう、自分自身は「謙譲の美徳」を利用する。考えてみると、つくづく日本には、個人の秘めたる才能をできるだけ伸ばさないようにする基盤があること に気づいた。  

 なぜ日本人は表にでることを嫌うのだろうか。何をやるにしても「立候補」をする人は他の国にくらべて少ない。それは,その役割をやることによってま
とわりつく「責任」があるからだと思う。自分は何かあった時に責任をとるのもいやだし、そのことをやる能力もまわりに自慢できるほどない、というのが だいたいの理由なのではないだろうか。でもそれで縮こまっては道もひらけないと思う。  

 私の中学校でこの前「合唱コンクール」があった。その合唱コンクールでは、指揮者と伴奏者をクラスから一人ずつ、もしくは二人ずつ出さなければいけ
なかった。そしてそれらを決めた方法は、私達のクラスでは立候補だった。私は最初、  

 「どうせ皆嫌がって立候補する人なんていないだろう。」
 

 と思っていた。しかし現実はどうだろう。なんと立候補した人は指揮者だけで七人もいたのだ。その中の誰もが、
 

 「是非、私にやらせて下さい。」
 

 と自分をアピールしていた。私はとても驚いた。こんなにも自分を強くアピールし、競って重大な責任がある役割につこうとしている人を私ははじめてみ
たような気がしたからだ。しかもそれは、ただ成績を良くしたいからではなく、心からこのクラスの合唱を完成させたいと思っているのだ。結局その指揮者 は投票で決まった。その後もいろいろトラブルがあったけれども、私達は自分たちが選んだ指揮者についていった。  

 私の体験から分かったこと。それは、いくら自分がそこまでの能力がないと思っても、まわりの人に「あなたにあわない」と言われても、まず、自分をア
ピールすることが大切だと思う。確かに、譲ることも必要だ。しかしそればかりでは何も前に進まない。名言からは「才能とは自分自身を信じる能力である 。」を引用する。私にはあわない、私には無理だと逃げてばかりではなく、自分を信じてチャレンジしてみてはどうだろうか。最初は上手くいかなくてもそ のうち何かが見えてくるだろう。私も頑張ってみたい。  

 
                                         
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