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自信と謙虚さ アジサイ の広場
由希子 あとえ 中2 日本のある会社が香港で現地の人間を採用しようと求人広告を出したという。すると瞬く間に、「我こそは日本語が達者である」と胸をはってたくさんの香 港人が押し掛けた。会社側はさっそく面接をしてみたが、実際にはほとんどの人が、挨拶程度しか日本語を話すことができなかったそうである。日本人に、 もし「あなたは英語がはなせますか」と問われたら、たいがいの人は、「少しだけ」と答えるだろう。なぜなら、恥ずかしいという理由もあるだろうが、も し「話せます」と答えた場合、その責任を自分が取らされたうえ、理解できなかったらどうしようという不安が脳裏をかすめるからである。そこで、「まあ そこそこ話せるな」と内心自負している人も、「少しだけ」と答えておく。そのほうが無難である。これが日本流「謙譲の美徳」なのである。  

 私は、日本人はもっと自信を持って何事も行ったらいいと思う。
 

 わたしのクラスの学級委員長類は自分から立候補した物ではない。みんなに推薦された人だ。きっとクラスの中にも、委員長をやってみたいなあと思って
いる人がいると思う。そういう人は、自信を持って立候補したらいいと思う。日本人には、自信が少ないのではないのかなと思う。  

 しかし、その謙虚さが日本人のいいところでもあると思う。
 

 これをあげるといわれて「別にいいです」と断るのは、日本人独特だと思う。遠慮がちで、すんなりとはあまりもらわない。はきはき自分の思ったことが
いえるのはすばらしいと思う。でも、日本人は謙虚さが文化みたいな物だった。だから、その文化を大切にするのも良いと思う。  

 確かに、遠慮をするのも大切だが、国際社会化していく中ではもうちょっと自信を持ってはきはき言ってもいいと思う。「才能とは自分自身を信ずる能力
である。」という名言のように自信を持って物事を行うべきであると思う。                                                
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