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いる物いらない物 アジサイ の広場
いうや 小5

 ぼくは長文で(べつにすてきなものじゃないし)を読んだ。その中で気に入ったものは「だれしもの人生のどんな一部を切り取っても、日々の光景のどこか
しらに、いつでも決まってくずかごが、きっと一つは置かれているはずなのに日に欠かせぬ家具として重んじられているとはいえない。」と「そのときにな ってはじめて日々の暮らしの姿勢を作るのは、何を手に入れるかではなくて本当はなにを手に入れないかなのだということに、わたしたちは、気ずくかもし れない。」と、「くずかごの大きさはその人の心の大きさに正比例すると、勝手にそう決めている。部屋に大きなくずかごを一つ、心の広い友人として置く だけで、何かが変わってくる。暮らしの姿勢がきっとしゃんとしてくる。」の三つです。この中でいちばん心に残って気に入ったのは、三番目の、「くずか ごの大きさは、その人の心の大きさに正比例すると勝手にそう決めている。部屋に大きなくずかごをひとつ、心の広い友人として置くだけで、何かが変わっ てくる。暮らしの姿勢がきっとしゃんとしてくる。」だ。  

 ぼくも引っ越してきた時捨てるに捨てられないものばかりになった事がある。それは、まだぼくが2年生のとき、愛知県瀬戸市から石川県金沢市に引越し
た。そのとき石川県金沢市の家はせまくて、荷物の3分の1をおじいちゃんの家に送った。そして4年生の終わりごろに、また愛知県瀬戸市に引っ越した。 そしておじいちゃんの家から送った分が帰ってきた。その中にもう使わないものがあった。それで、捨てようかと思ったけれどもったいなくってなかなか捨 てられなかった。その時、もしも捨てなかったらたぶんぼくの家は、ごみ捨て場のようになっていたと思う。  

 ぼくは、この話と前の出来事を、読んだり思い出したりして、捨てるに捨てられないものばかりになると、きたないしじゃまだから思い切って捨てればい
いと思う。だけど一番いいのは、買う時に考えることだと思う。この作文に「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである 。」が、合うと思う。なぜかというと何もしないで捨てるに捨てられないものばっかりにはならない。何も考えないで買うと捨てるに捨てられないものばかり になるからだ。                                                      
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