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おめでとう。初作文 イチゴ の広場
がっちゃん てな 高2

 97年に日本中を恐怖に震わせた「神戸連続児童殺傷事件」。犯人はなかなか捕まらず、警察も日本国民も、今か今かと犯人逮捕を望んでいた。犯人は、
現場で不振人物を見たという証言もあり20歳以上の男という線が有力であった。それから数日して犯人が捕まり、当時13歳だった私は犯人の少年Aと1 歳しか違わないことにとても驚いたことを覚えている。ワイドショーやニュースでは、心理学の専門家や非行少年を主に扱っている相談センター等の職員を ゲストに呼んで、なぜこの事件が起こったのか等を検証した。「親の育て方が悪かった」だの、「ホラービデオの見過ぎ」だの、「彼は特殊な人間だった」 だの、いろいろな意見が交錯した。なぜ人々は客観的な解説を聞いて理解したように感じるのか。  

 その原因としてまず、現代の学問が複雑化してきていることが挙げられる。単純な解説では人々の納得が行かない。複雑な解説をしている人間はたくさん
勉強をしてきたと見なされ、聴衆はそのような人間の言うことを信じる。解説というのは起こった出来事の経緯を語る事で、そのもの自体の解決法はそこま で詳しくは語らない。これでは事件が増えるばかりである。最も、どんなに複雑な勉強をしてきた専門家も少年の気持ちなど分かるはずはないのだから、本 当に分かる人間というのは他にいるはずだと私は考える。  

 他の原因として、単純に私たちが複雑なことを「かっこいい」と考えることにあると思う。私は「複雑なことを理解でき、また他人にそれを語ることので
きる人間」というのを頭の良い人間だと考えていた。だから「頭の良い人間」になるために高校へ入いり、学問を理解していない人のことを見下していた。 しかしそれはまちがいで、いくら学問ができようと人より知識が多かろうと、物事の本質を見極められる心と理解しようとする気構えがなければ意味がない と思う。  

 勉強は、詰め込むようにするものと、話を聞いて意味を理解するものがある。最近は、詰め込んでテストだけが出来るという人間が増えている。周りのこ
とを知ろうと思えば、自然に理解する。しかし、知ろうとも思わないのに勉強するのは時間の無駄だ。しかもそのような者は自分より成績の良い人間をすご いと思う。そう思うことが、複雑なことを言う人間への憧れにつながるのではないか。なににでも疑問をもち、専門家の複雑な意見に反論できるぐらい疑問 を追及する人間が一番望ましい。                                                    
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