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きらきらと光る星?(擬態語が使いたかった) アジサイ の広場
金剛くん あゆわ 中3

 ヨーロッパ諸国に旅行にいくと日本がどんなに湿潤な国かが分かる。日本人は水に対し限りない親しみを抱いている。芭蕉の詩を外国語には容易に直せな
い。「のたりのたり」などは擬声語、擬態語はあくまで感覚的な言語であって、抽象性を持たない。これを日本人は少々幼稚なものと見ている。しかし、こ れは、モーツァルトの音楽を言葉で表そうというのと同じだ。絵や音楽は言葉では表現できないものを表そうとしているものなのである。  

 僕はそれぞれの言語にはそれぞれその国(地域)の風土に合うように変化し、その全てに何らかの理由があるのだからそれがよい悪いではなく、それぞれの
言語に誇りを持っていくべきだと思う。だから日本語を例に取ると擬態語、擬声語を幼稚だと思わず、逆にそれが感覚が豊かでありよりよく自分の言語が表 せると考えて自分の言語に誇りを持つべきだと思う。  

 そのためにはまず自分自身が言語と同じように豊かになっていけばいけないのだと思う。擬声語擬態語で表したくなるような感覚を持てるようになればい
いと思う。(難)  

 本文のように芭蕉など詩などにきっとたくさんの擬態語擬声語を使いそして有名になっていったのだ。と思う(ウソだったらごめんなさい)
 

 だから擬態語と擬声語をうまく使えるようになっていくようにすべきだと思う。(最後の方は飽きてきて雑になりました(笑)
 

 
                                               
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