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潤之介 |
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かな |
中2 |
ラレルは、受け身、尊敬、自発、可能の四つの言葉を同時に受け持つ、じつによく働く勤勉な助動詞である。 ら抜き言葉は、「可能」において頻繁に現 |
れる。ラレルの使い分けは七面倒すぎるから整理しようというわけだ。 同時に、もう一つ、面倒なものが敬語である。しかもそれはただ面倒なものである |
だけではなく、使い方を誤ると、大変なことになる。そこで「見られる」などに、尊敬の表現を任せることにした。その一方で、ラ抜きのレルにして、「見 |
れる」という具合に表現することにした。ラレルよりレルの方が発音しやすく簡潔でもあるので、よく使う可能表現をレルにしてしまったということもある |
かもしれない。 |
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確かに古くてつまらなくても正しいほうを使うのはいいことだ。その理由は、古い方がその言葉を知っている人の範囲が多いからである。子供から老人ま |
で大体の人が「あ、聞いたことある」と思える。それに対して、私達が日常的に使っている言葉は、どうも自分と仲間内でしかわからないような言葉を使っ |
ていることが多いと思う。私の部活仲間の中でも、「ウィー!」とか、「『ビー』は?」とか、「ジャーキー♪」とかハタから見ると何をしゃべっているか |
見当がつかないような事をよく言っている。これはしゃべっている本人達は楽しいかもしれないが、聞いている人たちは全然楽しくない。私も人が何をしゃ |
べっているかわからないので、むなしい思いをしたことがある。それに古くてつまらないことは、たいていの場合礼儀というものも考慮しているからである |
。例えば、「食事中は正座しろ」とか、「年賀状は筆で書け」とかは物凄く古臭くてつまらなくて「やってられませんよ状態」だが、「古きを知って新しき |
を知る」ということわざがあるように、そうやって自分達が面倒臭いことはやらないというようなことをすると進歩がない。きちっとする時はする。それが |
大切である。 |
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しかし、新しい物は、古いものよりか数段使いやすいだろうから、例えそれが間違いだとしても、ついつい便利さに負けて使ってしまうものである。「便 |
利なんだからこっちが正しい」という人も出てくるかもしれない。例えば、 |
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いまどき鉛筆を普通の授業で使っている人は少ないと思う。大体の人はシャーペンである。シャーペンの方が授業中芯が折れても先生に断って削るという |
ようなこともないし本体そのものが折れるという心配もあまりない。しかもわざわざH2だの2Bだのと種類の違うものを用意する必要もない。古いものよ |
りか新しい物の方が便利なのである。こういう古いものにこだわらないのはスポーツでも言えることである。さっきしたミスをいつまでも引きずっていたら |
良いプレイは出来ない。だからミスしたことを忘れ、気持ちを切り替えることが大切である。古いものばかりにとらわれすぎると、周りが見えなくなる。頑 |
固一直線だとみんなから煙たがられる。時には新しい物も吸収する柔軟な頭が必要になってくる。 |
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新しい物は大事だが、古い物も必要である。どっちが正しいかなど一概に言うことはできないが、その物の必要性を決めるのは、国語学者や政府や総理大 |
臣ではなく、それを日常的に使っている私達なのである。 |
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