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分析からくるレッテル
アジサイ
の
丘
の広場
舞
/
あおき
高3
「どうしたの?らしくないね」私がぼ~っとしていると、心配そうな声と共に友の顔が覗きこむ。友は、いつものように私がしゃべらないから、具合が悪
いのかと心配したようだ。心配してくれた友には悪いが、私はいつもしゃべっているわけではない。考え事をしたい時だってある。しかし、友はそれを認め
ようとしない。何かあったのだろう?と、執拗に聞いてくる。というのは、明るい=私という公式が友の内(なか)で成立してしまったからだ。
我々は物を見、関わる事で日々生活を送っている。その中で、視覚から立体感を見出し、あらゆる感覚から物をそれとして意識するようになる。そして、
それは当然人に対しても言えることで、自分と関わる人の最も目につく特徴を捉え、その人として認めるのだ。つまり、分析という概念でレッテルを貼って
ゆくのである。だが、たとえ多方面から見たとしても、それに近づきはするものの、決してそれにはならない。サラブレッドから同じクローンを作り出した
としても、千里の馬になるとは限らないのだ。
では、何故人はレッテルを貼るのだろうか?多分、それは不安からきているのではないだろうか。初めてのものと関わるのに、情報を知らなければ上手く
関わることが出来ない為である。だから、様々な要素を供えたものでも、人の分析によって大雑把に分けられ、その一要素としてみなされるのだ。人間は分
析から離れることは出来ないのかもしれない…。
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